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2023.06.10

2023年6月号 特集 農業DX構想の実現に向けた農林水産省のデータ人材の育成

農林水産省
サイバーセキュリティ・情報化審議官
菅家 秀人

取材/狩野 英司(行政情報システム研究所)、平野 隆朗(同)、小池 千尋(同)
文/森嶋 良子

 農林水産省では、令和3年3月に「農業DX構想1」を策定し、農業の課題をデジタルトランスフォーメーションによって解決するための指針を表明している。

 構想実現のカギとして挙げられているのが省内のデータ人材の育成である。その背景と目的、データ人材育成の具体的な取組内容や取組の成果、今後の課題や展望について、リーダーとして指揮を執る農林水産省サイバーセキュリティ・情報化審議官の菅家秀人氏と、本取組を推進する大臣官房デジタル戦略グループ、大臣官房統計部のメンバーに話を聞いた。

1 https://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/joho/attach/pdf/210325-1.pdf

 

1.農林水産省でデータ活用人材の育成に着手した背景

- まず今回の取組のベースとなる「農業DX構想」とはどのようなものでしょうか。
菅家:「農業DX構想」は、今後の農林水産省のデジタルトランスフォーメーション(DX)の取組の指針であり、農業・食関連分野のDX推進の羅針盤・見取り図という位置付けの文書として、令和3年3月に策定しました(図表1)。農業のDXを進めるための基本的な考え方と、デジタル技術を活用して進める様々なプロジェクトをまとめたもので、2030年を展望しながら機動的に進めていく予定です。

 

図表1 「農業DX構想」の概要(抜粋)

(出典)『農業DX構想~「農業×デジタル」で食と農の未来を切り拓く~(概要)』を基に編集部作成

 

- 農業DX構想において、現場だけでなく行政でもデータ活用に取り組む必要があると考えるのはなぜでしょうか。
菅家:生産者の方々に生産現場などでデジタル技術を十分に活用していただけるようにしていくことはもちろん大事で、取組を進めていかなければなりません。しかし、農林水産省として農業DX構想の推進を掲げる以上、我々職員のデータ利活用のスキルを上げていくことも必要で、そのためには、データを利活用できる人材を育成していくということが非常に重要であると考えています。特に今、EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング。証拠に基づく政策立案)が重要視されている中で、今後はいかにデータを有効に活用して効果的な政策立案や政策形成につなげていくかがカギとなってくると考えています。データの有効な活用が農業DX構想の実現につながると言っても過言ではありません。しかし、そうはいってもデータの利活用ができる人材がいなくては話が前に進みません。そこで、データ人材の育成が必要になってくるわけです。

 

2.農林水産省が考えるデータ人材育成の取組

- 農林水産省では、データ人材をどのように捉えていますか?
菅家:農業DX構想の中に掲載している「データ活用人材育成推進プロジェクト」では、目指す人材像とそこに至る人材育成について示しています(図表2)。データ活用の中核を担うのがデータサイエンス人材で、高い専門性を身につけ省内のデータ利活用をけん引する役割を担います。データ活用人材は、データを活用して担当している業務や施策の改善に取り組むなど、実務の中で中心的な役割を担う人材です。

 

図表2 データ活用人材育成推進プロジェクト

(出典)農林水産省提供

 

- どのように人材育成を進めているのでしょうか。
菅家:3つのポイントがあります。1点目はデータ利活用の中核を担うデータサイエンティスト人材の育成です。これまで役所の人材育成は主にOJTが中心でしたが、データ利活用に関しては高い専門性が必要になるので、研修が必要になってきます。その中でもデータサイエンティスト育成研修については、時間を十分に確保して充実したカリキュラムで実施しています。
 2点目は省内の職員全体のリテラシー向上です。専門性の高い職員だけではなく、裾野を広げ、職員全体の底上げを図っていくことがデータ利活用を進める上で大事です。管理職や幹部職員も、データの利活用によってどんなことができるかということをきちんと理解した上で、データ利活用の専門知識を有する部下とともに仕事を進めていくことが重要になってきます。
 3点目は、BIツールを使いこなして分析ができる職員を増やしていくことです。いくら優れたデータ分析ツールやデータが揃ったとしても、使いこなす人がいなければ意味がありません。分析の成果を上げ、政策立案や政策形成に生かすことができて、初めて、有意義な人材育成だと言えるということです。

- 外部にデータ分析を任せるのではなく、職員を育成しなければならないのはなぜでしょうか。
菅家:データ分析を外部に任せるのではなく、職員がデータ利活用能力を身につけなければならないのは、データ分析が特別な作業ではなく、政策を考えていくという、行政が担う一連の業務プロセスの中の不可分な工程であるからです。分析結果をより効果的に生かすためにも、行政実務に関して様々な知識や経験を持つ職員がデータ分析をすることが望ましいと思います。それを活用して政策を立案し、それを世の中に役立つ形で実行していくことが行政の仕事なのです。なお、デジタル戦略グループでは、我々職員にはない知見を持った民間のIT企業出身の方々にも大勢来ていただいており、一緒に取組を進めているところです。
阿部:農林水産省には非常に多岐にわたる政策があり、必要とされる専門知識も様々です。農家経営の支援もあれば、農業基盤の整備や災害復興、植物の防疫や動物の衛生もあります。分析を専門とする外部の人だけに頼ると分析の方向がずれてしまう可能性があるので、農林水産分野の専門知識を持つ政策担当者がデータの読み解き方や分析する力を身につけることに意味があります。目標は、自分たちの制度や政策課題に即してクイックに分析し、課題の深掘りができるようにすることです。BIツールはコードを書く必要がなく導入のための教育コストが低いため、積極的に導入しています。

 

3.データサイエンティスト人材育成に向けた取組

- データサイエンティスト育成研修にはどのようなコースがあるのでしょうか。
室井:データサイエンティスト育成研修では、人材像に応じた研修コースを準備しています(図表3)。中核となるデータ専門人材(データサイエンティスト)育成コースでは、長時間にわたって濃密な研修プログラムを組み、データサイエンスを業務に活用できる力を身につけてもらうことを目標にしています。データ企画人材コースでは、データに基づいた課題提起や効果検証に必要な理論や技術を意思決定に活用する力を養うことが目的です。多忙な職員も多い中、専門的な知識をなるべく効率的に学べるように、自由な時間での動画視聴と、実践的なアウトプットを組み合わせた内容としています。データリテラシー習得コースは、多くの職員に広くデータ活用に係る基礎的知識を身につけてもらうことを目的としたオンラインで学習ができるコースです。場所や時間の制約が少ないため、地方農政局も含めた多くの職員が受講しています。より短時間でデータサイエンスの基本を学べる管理職向けのコースもあります。データ分析の基礎や分析プロセスを理解し、管理職員として意識すべきデータに基づく政策の課題解決や意思決定ができるような人材像が目標となります。

 

図表3 データサイエンティスト育成研修の概要

(出典)農林水産省提供資料を基に編集部作成

 

- 研修は実習中心で行うのでしょうか。
阿久津:データリテラシー習得コース以外は、実際にグループワークを行う実習を含めています。例えばデータ専門人材コースの研修では、野菜の取引量、販売価格、産地、天候、気温等のデータを使い、野菜の価格と需要予測を行うケーススタディを行いました。データを取得して分析しやすい形に加工して、機械学習のモデルを作って予測を行い、実際の価格の変動と合うかどうか検証するという一連の流れを、研修生たちが手を動かしながら学んでいきます。研修はチームで行い、最後に結果を資料にまとめて各チームから発表するという流れです。

- 研修の設計はどのように組み立てられたのですか。
阿部:研修を始めたのは令和2年になりますが、本事業が企画された背景としては、農林水産業が多くの課題を抱え、さらに課題の複雑性も高まっている一方、限られた予算や職員でどのようにして農林水産政策の質を高めていくのか、そのためにはデータをより活用することが必須ではないかという課題認識です。民間のデータサイエンス人材育成の枠組みをベースにしたところから議論をスタートさせましたが、農林水産省には特有の課題や置かれた状況があるので、同様の問題意識を持っている職員とともに設計を行ってきました。民間企業向けに提供されている一般的な研修コースだけでは、農林水産省が持つ課題に合わない要素があり、ニーズに合わせてカスタマイズを行っています。研修を実施後はデジタル戦略グループと統計部が協力しながら、必ず振り返りをして、次年度に組み入れていくというサイクルで研修をブラッシュアップしています。

- 研修の設計ではどこに重点を置きましたか。
阿部:ただ勉強するインプットだけでなく、アウトプットを重視しています。まずなぜ学びたいかという目的意識をしっかり持った上で参加していただき、ケーススタディでは、実際に手を動かして分析結果を出すだけでなく、必ずプレゼンまで行ってもらいます。実際にケーススタディが一番学びにつながったという声も多く、アウトプットを意識して設計を行うと有用な研修となると考えています。

- 行政機関ならではの特徴はありますか。
:今のデータサイエンスの傾向としては、機械学習を中心にしたAIを学ぶことが一般的です。しかし農林水産省内でのデータサイエンス教育では、回帰分析や主成分分析などの伝統的な統計学からアプローチする研修が中心になっているところが大きな特徴です。
阿部:これは、政策判断に関してはその根拠を説明する責任があることと密接に関係しています。例えば、国会答弁である政策について作った理由を問われたときに、AIが作りましたと説明するわけにはいきませんし、それでは説明責任を果たせないと考えます。そのため、精度が高く非常に複雑なモデルよりも説明しやすいモデルが受け入れられやすい面があると思います。ほかに特徴的なこととしては、仮説作りや問題提起を研修に取り入れているということです。行政機関では課題設定に慣れていない方が多いと感じます。行政では年単位でサイクルが決まっており、定型業務が多くなりがちであり、入ってくる情報には定性的なものが多いという理由があるのかもしれません。

 

インタビューに答える(左から)菅家審議官、田雑氏(デジタル戦略グループ)、谷氏(同)、阿部氏(同)

 

インタビューに答える(左から)阿久津氏(統計部)、田村氏(同)、室井氏(同)(いずれも行政情報システム研究所撮影)

 

- これまでの取組をどう評価されていますか。
田雑:令和8年までにデータサイエンティストの素養がある職員を100名育てるというKPIを定めています。令和2~4年の3年間で、実践も含めた本格的にデータサイエンスを学べる複数のコースの受講者を合計すると42名に達しています。この数字は、これ以外のデータリテラシー習得コースや管理職等向けのコースの人数を除いても、KPIに対し約50%の達成状況となっていて、おおむね計画通り進んでいます。今後更に取り組むべき課題としては、農林水産省としてEBPMをしっかり実践できる人材の育成も強化していくことが挙げられます。このためには、外部の方の知見も借りながら引き続き取組を進めていく必要があると思っています。

 

4.人材育成によって現れている成果

- データ活用人材育成推進プロジェクトを進めてきて、どのような成果が現れているのでしょうか。
阿部:BIツールは3年前から導入していますが、実際に活用して効果を挙げた事例が出てきているので一例を紹介します。豚が感染する「豚熱(CSF)」という伝染病があります。非常に伝染力が高く、発生した養豚場では全頭殺処分を行わなければならないなど、流行すると地域の養豚経営者ひいては養豚業界に大きなダメージを与えてしまいます。現在はだいぶ収束していますが、野生のイノシシが発生源となって感染が拡大した時期がありました。そこで、流行拡大を阻止する対策として、野生のイノシシにワクチンを入れたエサを撒いて投与するという施策を行っています。施策の効果を確認して報告する際の資料作成は、以前は職員が手作業で行っていました。しかし、ワクチンの投与時期や野生イノシシの感染情報を整理し、地図の作成を行う作業は大変手間も時間もかかり、大きな負担になっていました。そこに、BIツールであるTableauを導入したところ、大幅な作業効率の向上が実現しました。それまで職員が専任で1ヶ月かかっていた工数が、10時間程度で完了するようになったのです。現在では、詳細なデータを農林水産省HPのダッシュボードで公開しており、多くの職員が出張先からでもスマートフォンを見ながら現地の確認ができるようになっています(図表4)。

 

図表4 BIツールの活用事例 -豚熱(CSF)対策における経口ワクチンの効果検証

(出典)農林水産省提供

 

阿久津:データサイエンティスト育成研修をきっかけに、研修を受講した政策部局の職員と統計部の職員での連携した分析が可能になり、より踏み込んだ施策の提案につなげることができたという成果が出てきています。統計部の基本的な業務は、統計調査を実施して結果を公表することですが、令和4年度から統計データ分析支援チームを立ち上げ、省内外のデータも組み合わせた分析を行い、様々な視点からの議論を行うことで、施策提案までつなげることができました。具体的な例としては「農業分野の地球温暖化緩和策に関する意識・意向調査」の調査結果をより深掘りした分析があります。例えば、温室効果ガスの吸収にも効果がある堆肥を積極的に利用している農業者が堆肥の利用にどのようなメリットがあると感じているのかを分析し、堆肥を利用していない農業者に対してそのメリットを広めることで、今後の堆肥の利用増加につなげられる可能性があります。統計部だけですと具体的な施策に踏み込んだ提案は難しいのですが、データサイエンティスト育成研修を受講した職員が政策部局にいることで、一緒に分析結果の解釈の議論が可能になりました。結果の公表2が実現できたのは、関係する政策部局との連携以外にも幹部からの力添えや、分析支援チームを含めた統計部内の多くの関係者の協力を得られたことが大きかったと思います。

2 分析結果は農林水産省ホームページ「役立つデータ分析」
https://www.maff.go.jp/j/tokei/bunseki/index.html)にて公開

 

5.今後のデータ人材の活用の展望

- 今後データ活用を進めていく上での展望や課題をお聞かせください。
田雑:農業DX戦略では、農林水産省が組織として今後データマネジメントに取り組んでいく決意表明を掲げています。データ活用をするための基盤の整備を行い、データサイエンティストやBIツールの活用能力を身につけた職員が、データの可視化や分析を活発に行い、データ駆動型行政を実現することを目指しています。
 これらの人材育成については計画通り進めていますが、その他の課題としては、活用や分析に使える整ったデータがまだ省内に十分ないということが挙げられます。データマネジメントについての取組はこれから本格化させていこうという段階であり、先行する環境省に続いて、農林水産省もデータの管理等に関するルールの検討などを含め、現在これらの取組を進めているところです。

- 最後に、データ人材育成の目指すところについてお聞きします。
管家:最近、社会経済情勢の変化の速度が加速化しています。ウクライナ情勢やコロナ禍を経て、ここ2、3年で世界の状況は大きく様変わりしており、我々が政策を考える上での説明変数も多様化・複雑化しています。データ利活用や分析に高い能力を持った人たちが力を発揮できる分野は今後ますます大きくなると考えており、育成された人材がそれぞれ自分の持ち場で存分に力を発揮し、データの利活用やデータの分析をどんどん進めていくことを期待しています。また、研修を受けた人だけがデータ人材ということではなく、それぞれの持ち場に戻った後に触媒的な役割を果たして周りの職員が触発され、結果的に省内の多くの職員のスキルアップにつながることも期待しています。多くの職員が当たり前のようにデータ分析をして、その成果を自分の担当事業や制度の改善に生かせるようになれば、人材育成の成果が出たと言えるでしょう。そしてそこに至る過程としては、今、省内をリードする立場にいる大臣官房統計部が各局と連携しながらデータ分析を進めていくことも省内のレベルアップを図っていくための重要なアプローチだと考えています。人材の育成によって省内全体の底上げを実現し、農林水産省としてのデータ利活用力を高めていきたいと考えています。