自治体DXの機運が高まっているが、一足先にDXに着手したのが三重県だ。「あったかいDX」と銘打ち、デジタルの取り組みを率いてきたのが田中淳一氏。令和2年12月に公募された最高デジタル責任者(CDO)に手を挙げて就任した。2年の任期満了を迎える田中氏に、これまでの取り組みを振り返ってもらった。
1.行政のDXにとどまらない、三重のデジタル社会形成
- 三重県のDXは他の自治体に先駆けてスタートしたが、何が契機になったのか?
国において、人口減少問題への対応をはじめとしたデジタル社会の形成を進めようと、デジタル庁構想が出ていた頃、三重県ではそれに先んじてデジタル社会推進局を立ち上げ、全庁を統括するためのCDOを公募した。私は公募に手を挙げ、令和3年4月に着任した。
三重県CDOに応募した理由の1つが、デジタル社会の形成を目指していたという点。自治体のデジタル政策の多くが行政のDXに特化している中で、三重県ではデジタルがこれからの社会の土台になっていくという認識がある点に魅力を感じた。私自身は18歳で起業し、以来デジタル畑を歩んできた。ここ10年は、地方創生など地方にも関わってきた。また、私は以前からデジタルを活用したジェンダー平等などにも取り組んでおり、そこでの経験も活かしたいという想いもあった。
- 三重県はデジタル社会形成のビジョンをどのように描いているのか?
私がCDOとして大切にしたのは言葉の定義だ。まず、デジタル社会については「デジタルが社会に浸透することによって、誰もが、直接的、間接的にデジタルの恩恵を受けることができる社会」と、またDXについては「デジタルを活用することにより、時間短縮や付加価値の向上を実現し、暮らしや仕事をより良いものにすること」と、それぞれ定義した。
特にDXについては、時間短縮にも付加価値向上にもつながっていないような、単なるデジタル化となっている事例がたくさんある。オンライン化はされているものの紙による申請の方が楽、という手続きも多い。しかし、それはDXではないと定義した。DXを進めることで、県民の皆さんの時間や気持ちに余裕が生まれ、自己実現が図られて幸福実感が向上する、と盛り込んだ。ここは非常に重要なポイントだ。生産性向上や利便性向上は、デジタルによってもたらされるメリットのわかりやすい部分だ。しかし、それだけではなく、それによって生まれた時間とか気持ちの余裕で何をするのか、そこを促進することが大切だと考える。
その定義を踏まえ、「基本理念」「めざす姿」「前提条件」を作り、どこに向かっていくのかを示した。
基本理念は「みんなの想いを実現する『あったかいDX』」、めざす姿として「誰もが住みたい場所に住み続けられる三重県」「心豊かな暮らし」「持続可能な地域社会」とした。人口減少に伴って、多くの自治体が「コンパクトシティ」を掲げるようになったが、そこを最初から目指すことはしたくなかった。ここで生まれ、ここで最後を迎えたいという人がいた時に、その想いを実現できるような環境を創るのが、三重が目指すDXだと伝えた。それがあって初めて、デジタルをフル活用し、近所にお店がなくてもドローンでものが運ばれてくる、オンライン診療が受けられる、といったDXの取り組みを進めていくことができる。
前提条件を設けたところも三重県のユニークな点だ。ジェンダー平等を含むダイバーシティ&インクルージョンやサステナビリティなどを前提条件にせずにどんどんデジタル化やDXを進めると、これまでの経済発展と同じになる。つまり、環境破壊が進んだり、男性ばかりのコミュニティになったりする可能性がある。それだと、新しい社会を作ったところで誰も住みたいと思えない。選ばれる三重県を目指すために、前提条件をしっかり踏まえる必要があると考えた。
めざす姿に向かって、仕事、行政、暮らしの各分野でDXを推進し、生産性や利便性が向上して自己実現が図れていく。デジタル前提の社会が少しずつ出来上がり、人間が中心のデジタル社会へと発展していく、というイメージを描いている。
2.行政DXの土台づくりフローでは環境整備を軽視しない
- CDOとしてDXにどう取り組んでいったのか?
まず、取り組みの全体図から説明する。(図表1)
図表1 「みえのデジタル社会」俯瞰図
(出典)田中氏提供
三重県では、「みえのデジタル社会」としてデジタル社会形成に関連した事業を立てている。大枠として、社会全体のDXがあり、その中に行政のDXがある。デジタル社会形成に向けてめざす姿や基本理念などは社会全体のDXに入る。ここには、デジタルデバイドの解消、企業や事業者のDX、新技術の実証や実装、スタートアップの創出・育成などがある。空の移動革命としてドローン物流や空飛ぶクルマなども入ってくる。
社会が求めるのは県庁のサービスにおけるDXだが、そのためには組織が変わる必要がある。そこで組織のDXが必要だ。組織のDXでは、働き方、仕事の進め方などのDXに細分化できる。組織のDXとサービスのDXをそれぞれ分けて考え、両輪を回していく。
これらを進めるために、国内外でDXを牽引する企業や専門家との連携を推進する「みえDXセンター」を設置し、専門家と企業が行政のDXと社会のDXの両方をバックアップする体制を整えた。
また、準公共分野のDXとして、あらゆる分野における官民データ連携も進める。デジタル田園都市国家構想がここに重なってくるだろう。促進のためには、規制の見直しも必要となることがある。
CDOの任期の2年間で具体的に進めたことは、行政DXと社会DXの両輪で取り組んだデジタル社会形成のトップランナーに資する土台づくりだ。
- 行政DXの土台づくりとは、どのような取り組みを指すのか。
行政DXは、組織のDXを中心に段階的に進めた。まずデジタル環境を整備し(①環境整備)、デジタルコミュニケーションを促進し(②行動促進)、それにより適切な時代認識が醸成され(③時代認識)、少しずつマインドが変わってきて(④マインド)、いよいよ文化変革が起きる(⑤文化変革)、という流れだ。(図表2・上段)
図表2 行政DX / 社会DX:土台づくり
(出典)田中氏提供
それぞれの段階でやるべきことがある。まず、①環境整備。行政のメールシステムは不便で、いまだにPPAP(パスワード付きZIPファイルをメールに添付して送信し、後からパスワードを送る方法)、強制BBC置換、遅延送信などが使われている。「三層の対策」の見直しも必要だ。セキュリティでは、自治体としては全国で初めてゼロトラストを導入する。インターネット常時接続環境の実現、劣化したPCの刷新、スマートフォンの活用、オンライン会議スペースの確保も進めている。
このように、環境整備はやることがたくさんあり予算も必要なので、自治体の多くが優先順位を低くしている。だが、私はこの段階こそ重要だと考える。デジタル社会においてインターネットは空気。常に空気のように常時接続されている状態を作らなければならない。そこで、まずはデジタル環境を整備した。
そのような環境があってこそ、②行動促進が可能になる。三重県では、コラボレーションツールの「Slack」の導入に始まり、グループウェアやオンライン会議ツールを入れている。これらツールを導入するだけでなく、オープンなコミュニケーションの促進、ロジカルシンキングの促進など、文化の醸成やスキル向上についても取り組み項目に入れている。
オープンなコミュニケーションを通じて情報のシャワーを浴びる状況を作り上げると、③適切な時代認識が形成され、自立と責任に基づいた自由で柔軟な働き方、心理的安全性に基づいたフラットでオープンな組織、ジェンダー平等といった④マインド、そして⑤文化変革へとつながる。
⑤でもさまざまな項目があるが、「タックマンモデル」について説明したい。タックマンモデルとはイノベーションを起こすための新しい組織がたどる変遷で、最初にチームを形成し、嵐の時期がやってきてぶつかり合いや対立が発生し、共通の規範が確立されて成果が出てくるというもの。私もスタートアップで経験しているが、嵐の時期に離脱したり、場合によっては会社が潰れたりすることもある。行政組織であれば潰れることはないが、このような変遷をたどることを首長、幹部、人事部署、労働組合に説明しておかなければ、嵐が来た時に混乱する。だが、嵐の時期を乗り越えなければ、成果は得られない。
私自身も三重県のCDOで嵐を経験した。民間からきたのでカルチャーショックも多く、その度に学びながら進めていった。
3.戦略推進計画を立てる前に、共通認識と対話を
- 社会のDXの土台づくりはどうか?
社会のDXでは、多くの自治体が戦略推進計画を作るところから始めるが、三重県では現在地を知るための❶調査分析、目線を合わせるための❷共通認識、インタビューやワークショップを通じた❸対話促進、未来像を策定する❹理想状態、という4つのステップを経て、戦略計画を作成した。(図表2・下段)
ポイントは❷と❸。行政が有識者と計画を作るのではなく、県民の皆さんが対話し、その中から新しい未来像が生まれる状態を目指したかった。しかし、さまざまな立場の方がいらっしゃるため、興味関心が異なれば、情報の量や質も異なる。そうなると目線が合わず、対話が成り立たない。
具体的に実施したこととして、「みえDX未来動画」を制作した。三重県が直面する課題、DXがもたらす社会や暮らしの変化、テクノロジーの進化による未来の可能性などをまとめた動画で、これを見た後に対話を促進していった。インタビューやワークショップだけでなく、政策共創プラットフォームの「PoliPoli」や「アイデアボックス」も活用して、県民の皆さんからアイデアをたくさんいただくことができた。
この2年で、行政DXは③まで、社会DXは❺まで進めた段階だ。
- 社会のDXに行政のDXが含まれるということだが、2つをどのように進めていったのか。
同時並行で進めていく。というのも、行政として社会全体のDXを進めるにしても、行政のDXなしには職員の時代認識が追いついていかないという状況になる。全体のDXを進める中で行政としての役割をきちんと果たすためには、もどかしいようではあるが、組織のDXの最低限の環境づくりから始めなければならない。
図表2で示したフローは三重県の経験から編み出した。実は私も、組織のDXの④マインドと⑤文化改革から始めた。ところが、いくら「自立と責任に基づいた自由で柔軟な働き方」と話しても、職員からは「具体的にイメージできない」「そもそもそのような組織を目指すべきなのかどうかわからない」と言われることもあった。ここは、何が正しい・正しくないではなく、職員の目線で考えることが大切だ。スタートアップや成長企業では大体同じことを言っているのに、目の前にいる仲間たちはなぜそう思わないのかと掘り下げていったところ、①の環境、中でも「三層の対策」が根本の原因になっていると分析した。このように、⑤から始めようとして、④、③、②と戻り、結局①から進めたという経緯がある。
インタビューに答える田中氏(行政情報システム研究所撮影)
4.なぜデジタルコミュニケーションが必要なのか
- 環境を整備すれば人の意識は変わっていくのか。どのように意識変革を進めていくのか。
環境を変えただけでは意識は変わらない。三重県はデジタルコミュニケーションツールのSlackを導入して、意識を変えていくことにした。
なぜデジタルコミュニケーションを導入するのか。三重県にはデジタルやインターネットを県政に最大限活かしてデジタル社会形成のトップランナーを目指すという目標があり、理想状態は、全ての県職員が自分ごととしてDXを推進することだ。そのためには、何らかの動機、興味・関心が必要であり、そこにつながる好奇心が生まれるためには、適切な時代認識により危機感や希望を感じて、それが好奇心につながっていく必要がある。想いが強くなれば欲求になり、学びや挑戦に、そして行動に結びつく。(図表3)
図表3 デジタルコミュニケーションを促進する理由
(出典)田中氏提供
難しいのは、好奇心を連続発生させること。そもそも、インターネットやWebは何かに興味・関心がある人以外には何の役にも立たない。だが、興味・関心がある人にとって、Webは何でも調べられる天国のようなもの。だから、好奇心を自然に連続発生できることが、自分ごと化に最も重要だと考えた。
そのためには、刺激を与え続けること、偶然の出会い“セレンディピティ”の2つが大切。刺激を与え続けるためには「情報のシャワー」が必要で、偶然の出会いはいろんな人とコラボレーションすることで得られる可能性がある。情報のシャワーのためにはオープンなコミュニケーションが、コラボレーション創出のためにはさまざまな立場の人とコラボレーションがしやすい状況が必要。このように、オープンとコラボレーションを実現できるツールとは何かと考えることが大切だ。
- Slackを自治体職員が使いこなすために、何か工夫はあったのか?
Slackの導入は丁寧に行った。まずは、デジタル社会推進局で試行導入したが、その際、職員にDXの目標を説明するところから始めた。デジタル時代は指数関数的に加速するので、三重県も圧倒的なスピードでの事業推進が求められている。そのためには、自立と責任に基づいた自由で柔軟な働き方、スピーディーな意思決定、そして心理的安全性が担保されているフラットでオープンな組織が必要であると説明し、現在はリアルが90%、デジタルが10%を占めているコミュニケーションを、デジタルが90%になるように変えていこう、それに合わせて心理的安全性のために、1on1ミーティングもリアルでやろうと話した。
コミュニケーションツールの変遷についても、メール、LINEなどのソーシャル、ビジネスチャットへと移り変わっていることを説明し、ログが取れるなどSlackのメリットも解説した。
このように、なぜ導入するのかを丁寧に説明し、次にエチケット&マナーを作った。(図表4)
図表4 Slackの基本ルール&エチケット&マナー 初版(一部抜粋)
(出典)三重県提供
特に気を遣ったのが「余計なルールを作らない」ということ。職員の勤務時間は17時15分まで、では勤務時間外のコミュニケーションをどうするかという問題がある。また、試行とはいえ、業務で使うツールをスマートフォンに入れて、仕事の情報をやり取りするということも初めてだった。そこで、現在の制度を確認し、新しい働き方を見つけ出していかなければならないと伝えた。子育て中の人なら、忙しい夕方を避けて子供が寝た後の夜中に仕事がしたい場合もあるだろう。現在のルールではできないが、それが可能になれば職員のウェルビーイングは向上する。まずはデジタル社会推進局の職員から試してみようと声をかけた。Slackの通知については、送る人には送る自由を確保する。受け取る側は、勤務時間外は通知が来ても返信義務はないというところだけ決めた。
このほか、原則としてオープンにパブリックチャンネルで話す、Slackの特徴である絵文字については、立場に関係なく絵文字を使ったリアクションを許可するなどのルールも含まれている。
このように、まずなぜSlackかを説明し、その後にエチケット&マナーを作って、これでやろうと導入した。準備なしに導入すると、間違いなく混乱する。単なるチャットのような使い方をするとパワハラも出てくるかもしれない。だが、オープンなチャンネルだとそういうことはほとんど起きない。
Slackは今後、全庁導入を進めるが、同じように丁寧に進めていく。新しいツールに不安を感じる人がいるのは当然なので、何のためのツールなのかをしっかり伝えることは重要だ。
一部の自治体では、管理職の人がチャット利用宣言、テレワーク宣言をすることがあるが、いいことだと思う。管理職が使えば浸透していく。
5.DXとは変革である
- 土台づくりの後はどのように進めていったのか?
CDOとして2年間取り組んできた経験から、行政でDXを進めるにあたってやるべきポイントを9つにまとめた「DX “9” COMPASS」を作成した。(図表5)
図表5 DX “9” COMPASS
(出典)田中氏提供
組織の目的が注目されがちだが、マインド変革は重要。DXの理想状態を1人ひとりの想いやウェルビーイングを大切にする方向に定めていない組織には、優秀な人材はやってこない。これは企業も同じだ。つまり、組織の目的を実現するためには、マインドの変革の部分は不可欠。両方を同時にやっていくということになる。そしてマインド変革と組織の目的の間に、9つの取り組み分野を入れている。
行政がDXを進める際にやるべきことは山ほどある。「DX “9” COMPASS」には絶対にやらなければならないことが網羅されているので、DXまでの道のりで迷わないよう、羅針盤として使っていただきたい。
- DXを進めている、あるいはこれから着手する自治体にメッセージを。
デジタル社会、デジタル田園都市国家構想などがあり、担当になったはいいがどうしようと頭を抱えている方も多いと思う。DXというからわかりにくいのであって、要は変革。変革は「これまでとは違うことをする」「常識を塗り替える」ということなので、進んでやる人はいない。どの時代でも大変なことなのだ。
三重県の取り組みでも、トライ&エラーを繰り返してきた。表向きにはできているように見えることの裏には、多くの失敗もある。私自身もさまざまな失敗をして、県庁の仲間にも迷惑をかけながらも進めてきた。でもナレッジは少しずつ蓄積されており、皆さんがそれを活用すれば、失敗は減らせるかもしれない。このように、全体でナレッジを紡いでいけば、日本全体のDXやデジタル社会形成が加速していくだろう。ぜひ、みんなで一緒に楽しく頑張りましょう。