1.はじめに
暖かな日差しの差す昼下がり、早稲の緑鮮やかな田んぼの中、公民館に軽トラックがずらりと並ぶ。黄色い紙袋を提げた高齢者達が次々とやってくる。その中身は、好みのカバーや手縫いの袋に包まれた揃いのタブレット端末−。
南国情緒あふれる宮崎県のほぼ中央部、「農の都」という名の通り農業を基幹産業とする、人口1万人の小さな町「都農町」で、そんな光景が日常風景となった。
未敷設地域のあった光回線通信網の整備、希望する全ての世帯へのタブレット端末の無償貸与、データ連携基盤(都市OS)の導入等、都農町は令和2年度から急ピッチでデジタル化を進めてきた。
特にIT産業が集積する訳でもなく、デジタルとは縁遠い町だったが、やがて冒頭のような光景が日常となり、令和3年度グッドデザイン賞「グッドデザイン・ベスト100」、デジタル庁「デジタル社会推進賞奨励賞」を受賞し、対外的な評価も得られた。
本稿では、対外的な評価を頂いた「地域を巻き込んだ官民共創」に焦点を当てながら、本稿をきっかけに「自分のまちでもできそうだ」「それはこうしたらどうか」と、共に地域のデジタル活用推進に取組んでくださる方が一人でも多く現れてくださればとの想いで、都農町のこれまでの取組みと今後の展望を紹介する。
2.背景|コロナ禍で突きつけられたデジタル化の遅れ
都農町は、果樹・施設園芸・畜産業を中心に、農業を基幹産業とする人口9,906人(2020年国勢調査)の小さな町だ。最寄りの宮崎空港からは車または電車で1時間。正月には初詣の参拝客で賑わう日向国一之宮「都農神社」(紀元前666年創建)を中心に人々の営みが続けられてきた町で、日本ワイン界では、国際コンクール等で多数受賞歴のある「都農ワイン」でもその名を知られる。
都農町がまちづくりの一環でデジタル化に取組んできた直接的な背景はコロナ禍であるが、前史として10年前に発生した口蹄疫からご紹介したい。
(1)前史:10年前の口蹄疫からの復興
2010年、都農町で家畜の感染症「口蹄疫」が発生した。家畜は全頭殺処分され、畜産業の盛んだった町の経済は壊滅的な状況に陥った。前述の通り、畜産以外にも果樹・施設園芸やワイン造りも営む町で、畜産業のみが頼りだったという訳ではないが、周辺市町村と同じく、人口は毎年確実に減少、町の商店街も次第にシャッターを閉め、目に見えて町の元気が無くなっていっている中での出来事で、当時はいよいよ「町が無くなる」という悲壮感が漂ったという。
しかし、この出来事で町民達の中に「なんとか町を元気にしたい」というエネルギーが生まれた。このエネルギーがどう生まれてきたのかはハッキリしない。ただ、町内で時折耳にする、都農町の町民憲章には「何事にも屈しない都農魂」という言葉がある。「ここで屈する訳にはいかない」と、口蹄疫が引き金となり、町の将来に危機感を抱いた町民達、特に各界のリーダー達が中心となり、官民様々な場で議論を重ね、動き始めた。まず、生産者の救済策として直売所機能を持つ道の駅を開業。当初の目標を上回る年間70万人の来館者を集める施設に成長させた。「ふるさと納税」にも力を入れ、寄附額は多い年で年間100億円、全国でもトップクラスとなった。「町を元気にしたい」という町民有志達の想いで始まったサッカーのPK大会は全国大会に拡大し、それがきっかけでJリーグ入りを目指すクラブチームが都農町にホームを移転。チームのサッカー選手達を「地域おこし協力隊」として町に迎え入れ、家族を含めて多くの移住者を獲得した。「ふるさと納税」の寄附金を原資に、地元の国立大学宮崎大学に町単独で寄附講座を開設。同大学の教育実習先を兼ねて、町立病院で宮崎大学医学部から2名の医師が常勤するようになった。また、この大学への寄附をきっかけに、都農町が自ら出資者となり、今後のまちづくりを産官学連携で推進する組織として「一般財団法人つの未来まちづくり推進機構(以下、つの未来財団)」を設立した。
「だんだん町が元気になってきた」そんな明るい雰囲気が広がり始めた中、2020年、都農町は町制施行100周年を迎える。「90周年は口蹄疫で祝えなかったから今度こそは」とお祝いムードの高まる都農町を、今度は人間の感染症が襲った。
(2)コロナ禍で気付かされたデジタル化の必要性
コロナ禍の発生当初、都農町では生産者への影響が危惧された。都市部の飲食店が休業せざるを得なくなってしまったため、旬の作物の生産者はもちろん、都農町の農業で稼ぎ頭である「ぶどう」の生産者も、出荷シーズンを控え、売上への大きな影響が不安となった。
つの未来財団は町制施行100周年の節目に合わせ、これからの100年を見据えた計画を町民とのワークショップを重ねて策定する予定だったが、つの未来財団と共に、計画の策定と実行を行うために町内で起業した株式会社イツノマ(以下、イツノマ)と、当面はコロナ禍を乗り切るための政策立案を行うことになった。
そうした中、河野正和町長から「何か生産者支援のためになる策はないか」と相談を持ちかけられ、生産者に対し、産直サイトへの登録を促す事業を開始する。
「産直サイトがどういったものかわからない」という生産者も多く、産直サイト事業者による説明会を企画し、感染対策のためオンラインで実施することにした。しかし、「家にパソコンもスマホもない」「オンライン会議とは何かわからない」という生産者からの相談が多数寄せられ、結局、1軒1軒、職員がアプリのインストールから会議への参加方法について、直接レクチャーして回ることになった。
コロナ禍の前からデジタル化の遅れは多くの町民が感じていたことだが、実際のところ困っていなかった。小さな町だけに、何か伝えたければ直接出向くし、日常の買い物であれば町内で事足りる。それがコロナ禍で、社会がデジタルを使って危機を乗り越えようとしている流れに全くついて行けなかった。町内を見渡せば、高齢者は孤独・孤立、子供達は家庭のオンライン環境有無による教育格差といった問題が生じ始めていた。コロナ禍の対策を考えれば考えるほど、デジタル未普及が壁となった。「これでは取り残される」この危機感が都農町のデジタル化のきっかけとなる。
3.課題|誰か取り残しては進められない
地域社会のデジタル化を進める上で、何から取組むべきか。都農町の結論は、インフラだった。スマートシティの文脈では、デジタルの恩恵を感じられやすいサービスから導入することが推奨されているが、都農町の場合「そもそもパソコンもスマホも持っていない」「自宅にWi-Fi環境がない」のも当たり前の状況で、かつ、人口約1万人で高齢化率約40%という状態で「サービスをリリースしたところで、使ってくれる人が果たして何人いるか」という不安は払拭できなかった。詰まるところ「サービスの受け手側が準備できていなければ、進めようがない」との結論に至り、光回線通信網の整備と町民への端末配布から取組むことになった。
また、もう一つの、そして現在に至るまでの最大の壁は、デジタル化に対する漠然とした不安感である。これについては、相手が納得するまで説明し続ける、「なぜデジタル化が必要なのか」という想いを伝え続けるしかない。
もちろん、相手に納得してもらうには、説明する側がデジタルの基本的なことを理解していなければ、説明できない。これには町長が動いた。ある日の夕方、突然、町長がイツノマの事務所に一人で現れた。筆者は現在、つの未来財団の職員だが、当時はイツノマの社員で、その場に居合わせた。社長にご用かと思っていると、町長は筆者の方を見て「原島君。私に『Wi-Fi』とは何か、小学生にもわかるように、今度教えてくれないだろうか」と町長自ら勉強のためのアポを取りに来たのだった(筆者は小中学生向けのプログラミング教室で講師を務めた経験がある)。早速、翌日1対1で町長の疑問解消のためのレクチャーを行ったが、「町長も説明のために自ら勉強している」と、筆者も含め、関係者の襟を正させた出来事だった。
デジタル化に限らず、都農町のような小さな町では町民の理解なくして、物事は進まない。インフラの整備にしても、サービスの導入にしても、多くの町民に利用してもらわなければ、費用対効果は見合わない。前述の通り、都農町にはデジタルのプロはいない。まちづくり推進のために、デジタルが必要となり、まずは関係者が自分達で理解するために勉強し、その上で、町民の納得を得られるように、徹底して丁寧な説明に努めてきた。ちなみに、町長は後日、デジタルのインフラ整備を行う予算を議会に説明する場で、ホワイトボードを持ち込み、自らペンを取って、『Wi-Fi』とは何かを議員に説明した。予算は全会一致で可決された。
4.みんなで取組むことにした「都農町デジタル・フレンドリー宣言」
かくして「町民誰もがデジタルを使いこなし、多世代多様な交流を楽しめるまち」を目指す、『デジタル・フレンドリー』宣言と推進計画が策定される。『デジタル・フレンドリー』という言葉は、「デジタルと友だちになる」という意味と、「デジタルで友だちを増やす」という意味を掛け合わせた造語で、イツノマの中川敬文氏(代表取締役)が生み出した。まず取りかかることとして、次の4つに施策をまとめた(図表1)。
図表1 デジタル・フレンドリー推進事業の4つの施策(出典)筆者作成
(1)光回線通信網の整備
高速・安定・大容量の通信を確保するには、光回線通信網の整備が欠かせない。町の一体どこからどこまで光回線の敷設が必要なのか、事業者も含めわからない状況だったので、電柱網の地図に人が居住している住宅の位置を書き込みながら、追加で整備が必要なエリアを特定した。予算は国の「高度無線環境整備推進事業」を活用した。都農町『デジタル・フレンドリー』宣言として、デジタル化推進の方針を町として掲げていたことが功を奏し、事業初年度、令和2年度中に整備が完了する。
(2)希望する全世帯へのタブレット端末の無償貸与
光回線通信網を整備しても、インターネットに接続する端末を町民が持っていなければ、デジタルの活用は進まない。また、光回線の敷設だけでは、各家庭まで引き込まれる訳ではないので、家庭に通信環境が用意される訳でもない。引き込みまで町が行う案もあったが、通信料まで含めると、費用が莫大になる。
そこで、通信SIM契約をしたタブレット端末を無償貸与する案が生まれた。携帯のしやすさからスマートフォンも候補に挙がったが、画面が大きく、高齢者でも扱いやすい点を優先した。タブレット端末の耐用年数を考慮し、各家庭で各家庭のニーズにあった通信環境を整備してもらうための移行期間として、貸与期間は5年間とした。通信容量も「まず使い始めるのに最低限の容量」として月に1GB(後に2GB)までとした。
また、貸与対象については当初から全世帯を対象にする案があったが、「うちはパソコンもスマホもあるから必要ない」という理由での辞退もあり得ると考え、当初は令和3年度末を基準日として「①満65歳以上のみで構成される世帯(高齢者世帯)」と「②満15歳以下の子のいる世帯(子育て世帯)」の2つの属性を優先度の高い世帯として対象とした。
配布は、事前に対象者に郵送した引換券と会場で交換してもらう方法を基本に、①の高齢者世帯は会場を訪れなかった世帯を対象に宅訪を行った。
結果として、①の高齢者世帯は対象の88%、②の子育て世帯は92%が受け取り(令和4年6月時点)、対象とならなかった世帯からも貸与を希望する声が多く、令和3年度中に全世帯を対象に貸与することになった。
(3)ポータルサイト導入(データ連携基盤)
通信網と端末を手にしても、利用できるサービスがなければ、デジタルの活用は普及しない。ちょうど契約更新の年度であったこともあり、今後のサービス連携を見据え、町のホームページを町民生活に必要な情報を集約するポータルサイトとして運用することにした。
国の推奨する手順とは逆になるが、個別のサービスの前に、国家戦略特区の会津若松市で導入されているデータ連携基盤(都市OS)を導入し、今後、町民向けサービスが拡充されても、町民は同じシステムを使い続けられる、一度慣れたものを長く使い続けられることを重視した。
(4)サポート体制の構築(図表2)
通信網と端末を手にし、サービスを整えても、使い方がわからなければ、使ってもらえない。4つの施策の中で、最も力を入れたのがサポート体制の構築だ。都農町はキャリアの携帯ショップが1軒もない。よって、日常的に操作方法を聞きに行けるところも、講習会等リテラシー向上を図れる機会もなかった。
図表2 サポートのラインナップ(出典)筆者提供
講じた手立ては2つ。1つは、町内に44ある自治会を年4回ずつ巡る講習会だ。元々、地域のしゃべり場として「サロン」活動が盛んだったことに便乗し、デジタルのサロンとして「d-サロン」と称して、自治会の協力を得ながら開催している。
もう1つは、中心市街地での常設・無料・予約不要のITヘルプデスク設置だ。無償貸与したタブレット端末だけでなく、スマートフォンやパソコン、家庭の通信環境についても、デジタルに関すること全般に対応している。電話問合せにも対応し、必要があれば、自宅まで出向く。
高齢者の利用が圧倒的に多く、スタッフは20代、30代の若手スタッフがあたっている。「孫」の世代が対応することで、お互い「わからない」「伝わらない」ことによるストレスを和らげようという狙いである。実際、常連の女性から若い男性スタッフが自宅での夕食に招待されるということも日常茶飯事で、もう少し年齢が近いとヒヤリとすることも安心して運営できている。
5.町民の声を町民が聞いた(図表3)
各施策の計画・実行の中で、適宜、プロの力はお借りしているが、これまでアナログ中心の町だったこともあり、政策判断に必要なデータがないことに悩まされた。いつコロナの感染爆発が町を襲うかという危機感に急かされる中、できることは、多くの町民の意見を聞くことだった。事業推進の中心を担ったメンバーは、全員、都農町在住者だ。一町民として町民に向き合えたからこそ、できたことかもしれない。
図表3 事業推進の過程(出典)筆者提供
(1)高齢者
・一人の自治会長(80代)をきっかけに、個人のつながり、紹介をベースにヒアリングを重ねた(延べ100名程度)
・タブレット端末調達の際は、画面の大きさについて「多少の重さの違いは気にならない、それより文字が大きく見えた方が良い」という意見を頂き、画面の仕様を大きくした
(2)子供
・中学校の全校生徒に意見を聞いた(町内の中学校は1校)
・ポータルサイトのコンテンツ(どんな内容だったら、家族が日常的に目にしてくれるか、生徒達が見たいと思うものは何か)
・ポータルサイトの名称は、中学生3名が提案した「都農ページ」に(「都農町のホームページだから」というシンプルなネーミングだが、呼称もしやすく、町民の間でも定着した)
(3)役場職員
・都農町役場の職員数は約300名、都農町では最大の事業所
・町民の理解を得る上でも、まずは役場職員一人ひとりの理解を得ることが不可欠
・意見交換会を職員研修として全職員対象に実施
(4)商工事業者
・都農町にあるコワーキングスペースの利用者をはじめ、有志を対象にヒアリングを重ねた
6.徒歩5分以内の官民共創
本事業は、都農町・イツノマ・つの未来財団、すなわち行政・民間・(産官学連携を目的に設立された)財団の三者が中心となって事業を計画・推進してきた。大まかな役割としては、民間は企画提案、行政は意思決定と予算編成、財団は実行と全体調整を担う。三者とも徒歩5分以内の場所に事務所を置いているため、自ずと日頃から報告・連絡・相談をしやすかった。
これは他の事業でも感じることではあるが、物理的に離れている者同士では、ちょっとした出来事の違いや認識の相違がやがて大きくなり、事業の推進や継続に支障を来すことは起こり得る。特に本事業では住民の納得を得ようとするにあたって、まずは自分達が理解して、納得していなければ進められなかった。その点で、相手の表情や反応を見て、「おや」と思うことがあればすぐに聞ける、後で聞き直せる、わからないことは「わからない」と言える関係性は不可欠だった。
7.現状|高齢者と子供から拡がり始めた
令和3年4月にタブレット端末の無償貸与とポータルサイトの公開を開始して1年が経過した。令和4年6月時点で、生産者の産直サイト登録者は0名から34名に。町民主体でのデジタル活用の取組みは拡がり始めている。特に高齢者と子供からの拡がりは嬉しい。
高齢者は、例えば老人会がこれまで対面だった会合のオンライン開催を検討し始めた。小中学校では、児童・生徒の家庭学習ツールとして、タブレットを活用する動きが始まった。
サービスについても、養護老人ホームでの介護支援アプリの導入、ポータルサイトを活用した小中学校の欠席連絡、小中学生での学習への活用を念頭にしたごみの分別収集状況の見える化等に取組んでいる。
8.今後|課題は現役世代のDX
高齢者や子供で取組みが進む一方、課題は現役世代での活用だ。行政DXは、今年度から取組み始めた。産業も町ぐるみの取組みはこれからで、先行する他自治体の取組みに学びたい。しかし、良かったと思えるのは、先に町民、サービスの受け手側を対象に取組みを始めたことである。受け手が持っているならやってみようと、行政や産業でのDXの議論をスムーズに進められる効果を生んだ。
町民のある方が本事業の推進当初、「口蹄疫とコロナ、私達は10年ごとに成長のための宿題をもらっているのかもしれない」と事業の推進を後押ししてくれた。デジタルの活用が町の未来を切り拓くものと信じ、取組みをより加速させていきたい。