国を挙げてデジタル化が推進される中、教育界にも大きな変化が起こっている。令和元年には、義務教育段階でのICT環境とソフト面の整備を目的とした『安心と成長の未来を拓く総合経済対策』が閣議決定され、文部科学省では「GIGAスクール実現推進本部」が設置された。
現在、自治体の教育委員会では急ピッチでの取り組みが進められているところだが、急激な変化への現場の対応や組織改革など課題が多く、戸惑いの声も聞こえてくる。
そんな中、デジタル化への第一歩を着実に踏み出した自治体の例として、さいたま市が注目を浴びている。さいたま市教育委員会教育長の細田眞由美氏に、改革の現状や進め方のポイントについて話を聞いた。
コロナ禍でスピード感が増すデジタル化への対応
「GIGAスクール構想」のもと、義務教育段階の生徒に1人1台の情報端末を配布し、各校に高速大容量のネットワークを構築する予定が、今般のコロナ禍によって2023年から2020年度に前倒しされました。GIGAスクール構想の具体化にあたっては、さいたま市GIGAスクール構想推進本部会で、教育委員会の幹部と議論をしていきながら方針を決定しています。前倒しが決まったことで、ICTの環境整備が早く進んでうれしいのと同時に、これは大変だと思いました。さいたま市には義務教育段階の子どもが約10万人、教職員は6,000人以上いて、対象となる学校は168校にも上ります。
子どもたちへの10万台の情報端末整備や168校の高速大容量のネットワーク工事というハードの部分は、時間的制約はありますが必死で取り組めば何とかなります。しかし、実際に「GIGAスクール構想」を進めるためには、ITのスキルのみならずこの手のプロジェクトを推進した経験が不可欠だと気付きました。私たちは、教育の専門家だけれどITの専門家ではない。今すぐに、専門家を養成する時間もない。ならば、民間人材の活用をしていこうという発想になったわけです。とは言っても、DX(デジタルトランスフォーメーション)人材は引く手あまたで、どのように声をかけたら良いのか分からない。そこへちょうど、人材サービス会社の幹部の方からお声がけいただいたので、同社のサービスを通して募集をかけることにしました。
年度途中の募集で大きな予算も組めなかったのですが、副業として募集できることが分かりました。応募してくれる方がどれだけいるのか不安だったのですが、ふたを開ければ4人の募集に対して688人もの方が応募してくれました。20人の方と最終面談でお会いしたのですが、皆さん本当にすばらしいスキルとキャリアの持ち主でした。面接のときに、なぜ私たちのような自治体に協力しようと思ってくれたのか聞いたんですね。すると、皆さん口をそろえて「教育が変わるこの歴史的瞬間に立ち会いたかった」とおっしゃる。その熱意に本当に感激して、この方たちとなら面白い仕事をやっていけると確信しました。
協力していただくことになったのは、プロジェクト全体を統括するプロジェクトマネージャー、インフラ、セキュリティそしてコンテンツの各分野の専門家です。教育委員会と4人の専門家「ITスペシャリスト」がタッグを組み、「GIGAスクール構想プロジェクトチーム」を結成しました(図1)。ITスペシャリストと名付けましたが、協働を始めたら、私たちが全く知らない世界のまさにプロフェッショナルなことが分かりました。我々がGIGAスクールさいたま市モデルでイメージしていることを話すと、そこにアジャストするようないろいろなアイデアをどんどん出してくれます。
ただし、ITスペシャリストの方々はこうも言っているんです。「自分たちは教育の専門ではないので、教育とはこういうものだ、学校とはこういうものだとどんどん話をしてほしい」と。DX人材と教育のプロフェッショナルである我々とのケミストリー(化学変化)が起こり、想像をはるかに超えた協働が展開されました。
さいたま市GIGAスクール構想推進本部会では、月1回、GIGAスクール構想の方針や進め方などを議論します。そこに向かっては、インフラ・セキュリティ、Skill Up(教職員研修)、データ活用そしてカリキュラムマネジメントなどテーマごとにワーキンググループを設け、教育委員会の事務局担当者や教職員が議論します。ITスペシャリストの方には、本部会とワーキンググループの両方にご参加いただいています。実際に手を動かすというよりも、適切なアイデアやアドバイスをいただくという関わり方がメインです。
図1 さいたま市GIGAスクール構想 令和3年度組織図
(出典)さいたま市教育委員会提供資料から抜粋
急激な変化へのアレルギーを払拭したキックオフフォーラム
組織とはそういうものだと思いますが、教職員は急激な変化にアレルギーがあるんです。相当抵抗があると予想しました。
教職員の中には、もとSEの経歴を持つ人などITリテラシーの高い人もいます。でも、一部の人だけが突出して進んでいってもだめなんですね。定年間近の大ベテランから若い層までみんなが一体になって大改革を進めていかないと、結局は子どもに不利 益が生じてしまう。
それはどうしても避けたかった。実際に教職員6,000人全員に動いてもらわないと授業は変わりません。初めは小さなステップでいいから、みんなで変わっていくことが大切です。6,000人みんなでやっていこうよ、というのが私たちのコンセプトでした。
構想をスタートするにあたってまず実施したのは、キックオフのフォーラムの開催です。オンラインで6,000人の教職員に参加してもらい、ITスペシャリストの方たちにプレゼンテーションしてもらいました。例えばプロジェクトマネージャーの山本修平さんは、外資系のIT企業の所属で、アメリカ赴任中にお子さんの教育をされた経験もあります。日本の教育の良い面も認めながら、アメリカをはじめとした欧米のデジタルを活用した教育の強みをお話してくれたのですが、ご自身の体験をベースに説得力あるお話として伝わってくるんです。スキルの高さだけでなく、人柄や優れた人格まで伝わるプレゼンテーションです。
このフォーラムで、教職員たちのアレルギーが一気になくなりました。この人たちがサポートしてくれるなら、自分たちもITのリテラシーを高めて、学びのスタイルを変えていこうという気分に自然になったんですね。これは思った以上の効果でした。
現場でのIT推進を機能させるための仕組み作り
大きな変革を急激に行っていくには、仕組み作りが大切ですが、良い形ができたと思っています。さいたま市GIGAスクール構想推進本部会では、ITをどのように授業で活用するかといった元になるアイデアを準備しますが、実際にそれを進めるのは各学校にいる教職員です。そこで、職位に合わせた研修を体系的に実施する仕組みを作りました。そして、今回特筆すべきことは、教職員がITを学び、活用していくときに手助けを行う役割として、「エバンジェリスト」を学校ごとに配置したことです。エバンジェリストとは「伝道師」という意味ですが、さいたま市教育が目指すICT教育の方向性を各学校に伝えるとともに、ICT教育推進に向けて自分の学校を自走させる役割を期待しています。エバンジェリストは、それぞれの学校でITリテラシーが高い教職員に担当してもらっており、校長の推薦や本人の立候補によって選出されます。全校で約800人のエバンジェリストがいます。(図2)
具体的に、教職員のITリテラシーを高める研修の仕組みを、一例をあげてご説明します。とにかく6,000人全員にICTを活用した授業が実践できるITリテラシーを身に着けていただかなければなりません。そこで、英語学習でよく使われる「CAN DO調査」を応用しました。ITに関する項目があり、それができるかどうかYes/Noで答えていくことで、自分のレベルが分かるようになっています。初級、中級、上級とレベルを設定して、レベルに合わせたデジタル研修コンテンツを用意してあるので、自分ができないと分かった項目はオンライン研修を受けることでスキルを高めることができます。できなかった項目の研修がすべて終了すれば、それぞれの級が合格となります。ただし、教職員の中にはめげたり、積極的にやりたがらない方もいたりします。そこでエバンジェリストの出番です。励ましたり勉強会を開いたりして、教職員みんながレベルアップできるような働きをしてくれるんですね。
このように、体系的な研修の仕組みとエバンジェリストの存在は、168校6,000人の教職員という大きな組織が、この大改革を受け入れ実践するための、重要なエンジンとなっています。
図2 さいたま市GIGAスクール研修体系図
(出典)さいたま市教育委員会提供資料から抜粋
ICT教育の推進によって授業に本質的な変化が起こる
2020年3月に、コロナ禍でいきなり学校が閉じることになったとき、私たちは子どもの学びを止めないために、市立学校の全教職員が協力して、さいたま市独自の「スタディ・エッセンス」という1,100本を超えるデジタルコンテンツを数週間で作成し、提供しました。皆、必死でした。ところが、このコンテンツでは、子どもたちの学びを成立させるのは、かなり難しかったのです。私たち教職員は、デジタルコンテンツ作りのノウハウを持っていなかったので、これまでの学校教育で行ってきた一斉授業のデジタル版を作りました。しかし、子どもたちは、PCの前で、普通の授業のように45分間座って授業を聞くということができませんでした。教室の中で行われている、インタラクティブなやり取りや集中が切れたとこの教職員の声かけなどがないPCからの長々とした一方的な授業は、子どもたちにとって魅力的ではありませんでした。デジタルコンテンツにはこれまでの授業とは全く違ったアイデアが必要だということを実感しましたね。ITスペシャリストにコンテンツ分野のプロフェッショナルを設定したのは、その経験があったからでもあります(表1)。
表1 ITスペシャリストのプロフィール
(出典)さいたま市教育委員会提供資料を基にAIS作成
実は、従来型の学び方に限界が来ているということは、コロナ禍前からみんな気付いていました。日本の教育は、教職員が1人で教室の中の子どもたちに知識を教えていく一対多の授業スタイルを学制発布の150年前から変わらず続けてきました。効率よく子どもたちに知識理解を促していくという日本型の学びは効果を発揮してきたし、いまの日本社会の発展に大きな貢献を提供してきたと自負しています。しかし、VUCA(Volatility、Uncertainty、Complexity and Ambiguity)と言われるような予測不可能なこの時代には、子どもたちが自分の頭で考えぬき、新しい価値を創っていくことが求められています。平成29年の学習指導要領の改訂では、主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)の視点から「何を学ぶか」だけでなく「どのように学ぶか」という学ぶ姿勢の転換が提示されていて、我々も変わらなければならないともがいていました。でも、 どうしても教職員自身が過去の成功体験から逃れられなかった。それが、コロナ禍で学校が閉じたことによって、子どもたちの主体的に学ぶ姿勢が育ちきっていなかったということが一気に露呈しました。新しい学びにアップデートしていかなければならないという事実を突き付けられたわけです。
ITスペシャリストの方と議論したり、ヒントをいただいて実際に手を動かしたりしながら、子どもたちがデジタルコンテンツをフルに使い生き生きと学べる授業とは何かということがだんだん分かってまいりました。子どもたちに主体的にものを考えさせるためのITの活用法や、自主的に学びたいと思えるアプローチを提案してきたことでチャレンジが進み、学びが大きく転換したことを実感しています。先ほどお話ししました「スタディ・エッセンス」は、ITスペシャリストからアドバイスしていただいたコンテンツ作りのティップスをどんどん取り入れ、現在かなりバージョンアップしています。子どもたちが主体的に取り組む自学自習はもとより、日々の授業の中でも効果的に使っています。これも、ITスペシャリストの皆さんとの協働の成果です。
共有プラットフォームを導入して授業でのIT活用を推進する
デバイスの配布とネットワークというインフラが整い、教職員のITリテラシー向上も成果が上がり始めたところで、授業への反映に取り組んでいます。これもスモールステップで進めています。毎月具体的なタスクを設定して、6,000人の教職員全員に授業の中で実践してもらっています。例えば、5月のタスクは「タブレットを使った個別学習ドリルを使う」「タブレットのカメラ機能を活用する」「教科書に掲載しているQRコードを使う」でした。それを、理科なら外観察でカメラを使い、撮った写真を加工して子ども同士でプレゼンしたりとか、算数の単元でドリルを使ったりとか、教職員がそれぞれ自分の授業に落とし込んでいくわけです。
さらにこの授業実践を、さいたま市の教職員全員で「『さいたま市GIGAスクール』活用応援ページ」というプラットフォームを作り、オープンシェアすることにしました。こんな使い方があったとか、こんな取り組みをしたとかいう記録を、教職員自らプラットフォームにどんどんアップしていくんです。ほかの教職員がそれを見て参考にできるし、「いいね!」「面白いね!」といった評価や反応がアップした教職員に伝わり、やる気につながるわけです。そんな好循環が学校の中で起こっています。
ここでも、エバンジェリストが各校内で活躍しています。ITスキルに自信がないベテランの教職員を励まして授業実践を勧めたり、活用アイデアを褒めてプラットフォームに上げることを促したりする。教職員みんなで毎月のチャレンジを繰り返し、一学期間が終わったところです。教職員たちがこんなに短期間で変わるんだということにも驚きましたし、私自身も、実際に十数校視察に行って、授業が大きく変わったことも目の当たりにしました。
インタビューに答える細田氏(AIS撮影)
外部との連携でデータ活用を進める
GIGAスクール構想を急激に進めるうえで民間のスペシャリストに参画していただきましたが、それ以前からも外部との連携は進めていました。実は、昔から外部連携はずっとやりたかったことなんです。
私はもともと県立高校の英語の教員だったのですが、教育委員会に加わるようになり、そこで視野が広がりました。ところが学校に戻ってみると、教職員は学校の中だけの文化で生きている。これは絶対外部とつながらないといけないと強く思いました。その後、校長の立場で学校レベルでの大学や企業との協働を進めていましたが、平成29年にさいたま市の教育長になって、GIGAスクール構想という大きなチャンスが巡ってきました。
以前は反発も多かったですね。民間会社の英語のスキルテストを使って中学校2年生の全数調査をしようともちかけたら、特定の会社を使うなんてだめだと大反対を受けました。でも、きちんと他社とも競合させたうえで業者を決めれば問題ないわけです。それで実際に全数調査を実現しました。それだけで終わりではなくて、次に結果を分析するんですね。さいたま市には教育研究所があって、教育委員会のシンクタンク的な役割をしています。ただし文部科学省の分析結果を下地にしているので、ローデータの分析には限界があるんです。民間会社はデータ分析力に優れているので、学校ごとに細かく強みや弱みを分析できる。すると、授業への落とし込みまでが可能になるわけです。これは義務教育にはなかった視点で、学びが変わりました。こんな使い方ができるなら民間企業とどんどんコラボレーションしていかないといけないということが、周囲にも理解されるようになりました。いまは企業やプロスポーツとのコラボレーションも普通になりましたね。教育分野以外の人との協働にもアレルギーがなくなってきました。
ITスペシャリストの方と協働するときに気を付けたのは、彼らに負荷をかけないようにするということです。アイデアをいただいたり、教育委員会としての決断をする際などトップリーダーである私の背中をおしてもらったり、別の考え方を提案してもらうというような、教育委員会のシンクタンクとして負担をかけずに最大に活躍していただくということを工夫しています。
また、私たちとは全く違う分野の高いスキルを持っているので、私たちや教職員をつなぐ「ジョイント」の役割をする人材が大事になります。
私たちの組織では、さいたま市の教育研究所の中にGIGAスクール構想担当の部署があり、そこにはITのスキルが高い指導主事等を配置しているので、その人材がジョイントを担ってくれています。教職員とのジョイントにはエバンジェリストがその働きをしてくれています。
多様なデータを集約して分析に生かすダッシュボード作りへの挑戦
現在挑戦を進めているのは、スクールダッシュボード作りです。教育関係には様々なデータがありますが、バラバラに存在しています。私たちが必要とする情報を一か所で見られるダッシュボードを作ろうという計画です。一人の子どもに関する様々な教育データは、そのデータの管理先が複数存在しているのが現状です。例えば、子どもたちの成績情報や健康データなどは学校が、出欠席など行動情報は校務支援システム、学校全体の基礎データは教育委員会がそれぞれ高いセキュリティのもと管理しています。また、GIGAスクール構想によってデジタルコンテンツも一気に増えました。さらに、デジタルだけでなく紙のデータもあるわけです。それらのデータをセキュアな状態でパイプを引き、まとめて一つの大きなバケツに入れて必要なデータを組み合わせて出力するというイメージです。いまは座組作りについて検討しているところです。バケツを作るパートナー企業、それぞれのデータの所有者、また厳密に言えばデータは子どもたちに帰属するものなので、そこも含めて合意をしていかないといけない。さらに、どんなダッシュボードが必要なのかについても研究が必要です。教育委員会とITスペシャリストが議論を重ねながら進めていますが、アカデミアの力も貸していただくよう計画しています。
外部の人たちと協働していくことが、これからの教育には絶対必要ですね。これは行政も同じだと思います。いろいろな強みを持つ人たちとうまく協働していかないかぎり、先はないと考えています。