官民を挙げてデジタルトランスフォーメーションの動きが加速している中、避けて通れないのが、プライバシーデータを巡る課題だ。
本年11月に著書「プライバシー・パラドックス」を刊行した、ベルリン在住のメディア美学者・武邑光裕と、昨年12月に著書「NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方」にて新しいデジタル・ガバメントの在り方を提示し、話題を呼んだ編集者・若林恵氏(黒鳥社)が対談。
今、最も困難とされる課題に異才2人が独自の視点から切り込む。
若林 武邑先生の最新刊は『プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明』というタイトルですが、プライバシーをめぐる議論の現在地がどこにあるのか、まずはそこからお伺いできたらと思います。
武邑 私が長年注目してきたのは「データとなったプライバシー」の行方です。これまでの私たちが当たり前に認識していた、生身の身体を持ったプライバシーと「データとなったプライバシー」は、その性質が大きく異なります。データとなったプライバシーは、データ経済の原資となり、石油に次ぐ天然資源と呼ばれて久しいですが、一人ひとりのインターネット上でのコントリビューション(貢献)がデータ経済を支える原資となっています。
デジタルサービスを使用することで、自分のプライバシーが誰かの手によって詳細に分析され、それがトラッキング広告やアプリに用いられています。そのなかで私たちは、スマートフォンやアプリを使うたびに、自分のプライバシーを差し出さなくてはならないというトレードオフに直面しますが、そこで差し出すのは所詮データとなったプライバシーなので、自分とは直接関係ないだろうという認識で、多くの人がほとんど契約も読まずに承認ボタンを押してしまっています。そうした状況が10年以上経過し、様々な問題が起きていると思います。
私たちのデータが、単にトラッキング広告やGAFAの原資になっているだけであれば、便利なものに貢献しているという認識で済むかもしれませんが、今や、AIの分析や予測が私たちの行動や意識にも深く入り込み、行動そのものを大きく変容させようとしていることが明らかになっています。さらに、その影響が個人だけに留まらず、ネットワークを通してつながっている全ての人たちに対して、ある種の行動変容を起こすことが可能になっている社会が迫っています。これは大きな問題だと思います。