1.”水道崩壊”―ライフラインを支えるインフラの現状と将来
水道管路の現状
近年、米国では、水道管路の老朽化が大きな社会問題になっている。その原因は、配管の老朽化が進んでいるにも関わらず、効率的かつ十分な配管更新がなされていないためである。実際に、老朽化による配管の破損・漏水が頻発しており、年間で報告される漏水は、実に約24万件にものぼる。計算すると1日あたり650件以上の漏水事故が発生していることになる。全米水道協会(American Water Works Association)は、現状の方法で水道配管の更新を行うことを前提とすると、今後30年間で全米の上水道配管の更新には合計約100兆円の投資を要すると発表している。
一方、日本ではどうか。水道配管の大半は高度経済成長期に敷設され、その更新時期が到来しつつある。ところが、更新投資は年々減少の一途を辿り近年は横ばいという状況である。『最近の水道行政の動向について』(厚生労働省 医薬・生活衛生局水道課/平成31年2月)によれば、上水道配管の更新率は、2001年の1.54%から、2015年には0.74%まで減少したという。管路の老朽化が進行する中で更新が進んでおらず、このままでは米国のような状況に陥りかねないと危惧されている。
人口減、少子高齢化によるインパクト
さらに日本の場合には、少子高齢化の進行による人口減少という大きな問題も抱えている。水道事業は、原則水道料金によって運営されているが、人口減少、それに加え節水型の洗濯機やトイレの普及にともない、水道料金収入の総額も減少している(2001年には年間2.5兆円だったものが、2016年には2.3兆円に減少)。特に地方では、人口の減少幅が都心と比べて大きいため、水道事業体は施設の更新や投資に使用できる予算が非常に少なく、かつ減少傾向にあるのが実情である。
このように日本の水道事業においては、今後は確実に水道料金収入が減少する。他方で、前述の通り水道管路の維持・管理費用は増大していく。このままでは維持・管理を続けること自体が難しくなる。これから20~30年後の日本が、“水道崩壊”と呼んでもよいほどの、かなり切迫した状況を迎えることになってしまうのが、ある程度は予想がつくのではないだろうか。新しく街を作り、積極的に新規の配管を敷設する時代は既に過去のものとなった。これまでの配管の残り寿命を把握し、適切に修繕・更新を進めることが水道事業体の急務となっている。
投資の最適化、アセットマネジメントの必要性
もちろん、先に紹介した米国やイギリスの現状と比較すれば、まだ日本では漏水事故の件数は少なく、水道管路の管理状況もそこまで悪化しているとはいえない。これは堅実に水道配管を更新してきた成果ではあるものの、裏を返せば、水道配管に過剰な投資が行われてきたといえなくもない。道路の下に埋まる水道配管の状況は把握しづらい。もし水道配管の状況が手に取るように分かるようになれば、過剰投資を防ぐという意味でも、水道事業体の財務状況を改善できる可能性がある。投資の最適化、すなわち不要不急の投資を回避し、中長期的な視点から必要な場所へ必要な投資を行うことができるようになれば、水道料金の高騰を抑え、安全安心な水道サービスを持続できる可能性が高まるということだ。
水道におけるアセットマネジメント(資産管理)とは、「水道ビジョンに掲げた持続可能な水道事業を実現するために、中長期的な視点に立ち、水道施設のライフサイクル全体にわたって効率的かつ効果的に水道施設を管理運営する体系化された実践活動」を指す。即ち、アセットマネジメントにおいては、技術的な知見に基づき、現有管路の老朽化を把握、健全度を適切に診断・評価し、リスク評価等による優先順位付けを行った上で、点検・調査、修繕・更新等を実施し、施設全体を最適化することが求められる。さらに、中長期の更新需要を検討し、財政収支見通しを踏まえて更新財源を確保できる方策を講じる等により、事業の持続可能性を担保する必要がある。
水道管路に最適な投資を行っていくためには、アセットマネジメントがますます重要になってくる。では、今後の老朽化の進展状況を考慮しながら、リスク評価等による優先順位付けを適切に行っていくにはどうしたらよいのか。
2.水道事業における活用事例
水道配管の実寿命
水道管の表面は、道路の下の土の中に埋め込まれた時から、まわりの環境による物理的・化学的な影響を受けて劣化や腐食が進行する。そして、何らかの衝撃が加わると破損し漏水する。これが外面腐食と呼ばれるものだが、設置した場所の土壌や周辺の環境に大きく影響を受けるため、劣化や腐食はすべての水道管が同じ速度で起こるわけではない。
米国水道協会によれば、かつて水道管として多く採用されていたねずみ鋳鉄管の寿命は120年といわれているが、実際には60年で破損するものもあれば180年保つものもあるという。これはつまり、平均値ではなく実寿命、それぞれの実際の劣化や腐食の進行状況をより正確に予測できれば、健全度を適切に診断・評価し、リスク評価等による優先順位付けを行うことで水道管の更新の最適化を図る余地があることになる。
水道管データ×環境ビッグデータ
残念ながら、米国では水道管の老朽化が進んでいるにも関わらず、効果的かつ効率的な配管更新がなされてこなかった。水道事業者は、一般的に配管の敷設年数の古いものから順に更新するというシンプルなアプローチを採用してきた。敷設年数は、確かに重要な要素だが、劣化・腐食を促進する因子は年数だけではない。実際に、水道事業の運営者の話によれば、敷設年数が古い配管を掘り返しても配管表面の劣化・腐食が見受けられず、本来は更新せずに済んだ配管を更新してしまったケースが多々あるという。これは、配管の劣化・腐食は必ずしも敷設年数だけではなく、配管を取り巻く数多くの環境要因によって引き起こされている証しである。
そこでAI技術の出番となる。配管素材・使用年数、過去の漏水履歴など、水道管に関するデータは、水道事業体が持っている。それらに加えて当社では、土壌、地形、気象、人口、交通網、建物、海、河川など、約100種類の環境要因を独自にデータベース化。さらに複雑な関係性を解析するために最終的には約1,000の環境変数を予測に活用した。そして、過去にどのような配管と環境で破損が起きたか、あるいは起きなかったかという、実際のデータに基づいた正解と不正解のパターンを、AI /機械学習によってコンピュータに教え込み予測精度を向上させた。
図1 環境データベース
(出典)Fracta作成
米国で認められた技術を日本へ
上述の技術は、水道管の劣化が進む米国だったからこそ開発できたものだ。豊富な機械学習データは、水道管の破損が頻発する米国でしか得られない。この米国で累計約11万kmにも及ぶ水道管を対象とした機械学習データから開発した、高い予測精度と実用性が十分に立証されている独自のアルゴリズムを、日本の水道管の環境に転用することで、さまざまなサービスを日本国内で提供することができる。
日本では2018年から実証検証に着手し、今春からは、日本の水道事業体に対しても、当社が開発したAI技術を活用した水道管路の劣化状態を診断するオンラインツールの提供を開始した。このオンライン管路診断ツールは、水道管路に関するデータ(配管素材・使用年数、過去の漏水履歴等)と、独自に収集した1,000以上の膨大な環境変数を含むデータベース(土壌・気候・人口等)を組み合わせて、各水道配管の破損確率を高精度に解析し、その破損リスクを診断する。
素早くリスクを可視化
当社のオンライン管路診断ツールは、短期間で膨大な管路全体の健康状態を診断することができる。また、診断結果をひと目で把握できるように、地図上に可視化(マッピング)している。さらに、各配管セクションの状態を配管情報や破損確率を容易に表示することができる。マクロな視点からミクロな視点まで、管路網全体のリスクの直観的な把握を助け、適切な粒度で情報を提供する万能なダッシュボードである。これにより、早期対処が必要な管と長期利用が期待できる管とを峻別し、破損確率の高い水道配管から優先的に更新を行うことで中長期的な管路維持コストを大幅に削減できる。これにより、配管の破損・漏水事故を最小限に抑えるとともに、メンテナンスコストの最適化を実現することが可能になる。
2019年には、当社の技術の日本における有効性を6つの水道事業体で検証。既に3つの事業体(川崎市、神戸市、越谷・松伏水道企業団)では検証を完了し、米国で実用化しているサービスと同等の有効性が確認されたため、2020年春から日本へ向けたサービスの提供を開始した。今後、神奈川県など、残る水道事業体における検証が完了次第、得られた水道管路の劣化パターンをAIに学習させ、予測精度をさらに向上させていく。当社では、このオンライン管路診断ツールを2022年までに100超の水道事業体へ提供することを目指している。
図2 漏水リスクマップ&管路分析結果
(出典)Fracta提供
3.オンライン管路診断ツールの構築プロセス 当社ソフトウェア提供までのプロセス
機械学習とは
オンライン診断では、AI・機械学習によるパターン認識から各配管の破損確率を予測している。「機械学習(Machine Learning)」とは、一言でいえば、機械=コンピュータを用いて、過去の現象・事実・情報から、そのパターンを学習していくアプローチである。機械学習というと、極めて複雑なプロセスがおよそ人間の認識・理解の範疇を超えて進むのではないか、と感じる方もいるかもしれない。しかし、それは杞憂である。仮に配管データ項目の数が少なく、かつ考慮すべき環境変数が少なければ、人間であっても(その精度は度外視するとしても)パターン認識は可能である。とはいえ、多数のデータ項目や変数を用いる場合は、機械=コンピュータの力を借りる(機械学習を使う)ほうがはるかに効率的かつ正確であり合理的だ。
機械学習を水道管路の診断に適用することの意義は、ひとつの水道事業者で数千〜数十万の配管セクションにも及ぶ大量のデータを扱うことができる上に、高精度な破損確率の予測を行うために膨大な環境因子(変数)を考慮できる点にある。これを人間が実践しようとすると、何年、何十年もかかるため、全く現実的ではない。米国のあるコンサルティング会社は、ひとつの水道事業者のために、AI・機械学習を用いずに、配管劣化の予測モデルを構築したところ、約6ヶ月を要し、その精度も満足のいくものではなかったという。こうした人力では気の遠くなるような膨大な作業を、短時間で、精緻に、しかも客観的な視点で行えるのが機械学習の強みである。
破損確率の予測
数千〜数十万ある配管セクションについて、機械学習アルゴリズムによって、破損履歴を参照したパターン認識を繰り返し行うことで予測モデルが生成され、この予測モデルから、各配管セクションの将来の破損確率が算出される。1,000以上の変数を用いているため、人間では見分けのつかないようなパターンの配管劣化を発見することができ、破損確率を精緻に予測できる。機械学習アルゴリズムに分類される数学的手法にはさまざまなものがあるが、当社は、水道配管の破損確率の予測に最適化した独自アルゴリズムを開発しており、また、常に精度向上のための追加開発を行い続けている。
4.水道事業体にとっての効果・効用
管路診断手法の変革
AI・機械学習を用いたオンライン管路診断技術を使うことによって、水道事業体は、さまざまな直接的な効果・効用を得ることができる。最もわかりやすいのは、各水道管の破損確率を高精度に解析することで、管路全体の健全性の評価と可視化が可能になることだ。今はもう「上水道配管の寿命は平均60年といわれる」などといった、ある意味で“どんぶり勘定”で評価する時代ではない。マクロな診断で重点箇所を絞り、ミクロな診断で具体的なリスクを把握、必要に応じて直接的に精密検査を行うといった、管路診断手法そのものの変革が求められる。
また、客観的な検証による数値を用いることで、公平・公正な管理を実践することができる。住民や議会などへの説明を行う際にも、管路全体の俯瞰的な状況から1本1本の詳細な解析データまで、リスク情報を求められる情報の粒度で可変的に分析・可視化した説明資料を提供することが可能だ。
さらに、予測に基づき破損確率の高い水道管から更新を行うことで、整備のためのメンテナンスコストや投資計画の最適化を実現できるだけでなく、配管の破損・漏水事故を最小限に抑えられる。水道事業体の価値とは、すなわち水道関連資産の価値であり、水道関連資産の大半は地中に埋設されている水道配管が占めている。その水道配管の価値に関して、当社のような精緻な状態評価ソフトウェアで、水道配管の劣化状態を1本1本つぶさに観察し、その集合体としての水道事業体の資産の実態価値を評価しなければいけない時代がすでに到来している。
中長期的を見据えた持続的なマネジメント体制の構築
また、間接的に得られる効果・効用としては、リスクヒートマップから得られる気づきがある。興味深いことに、これまでの導入事例においては、AIによる診断結果を職員が再評価する過程において、職員自身が業務を通じて培ってきた経験知や暗黙知を引き出し、取りまとめるための“トリガー”となってきた。職員が個別に蓄積したままの経験知や暗黙知の見える化を促進、技術承継の推進を支援する一助となっている。職員の高齢化、技術者不足等の構造的な組織課題に対するソリューションとしても有効となることだろう。
AIツールの活用により、水道事業が直面する多くの問題を解決し、持続可能な事業運営の実現の支援が可能となる。管路投資の最適化は水道事業体だけでなく、財源の有効活用策として当該自治体へ貢献することに繋がる。こうしたアプローチは、スマートシティ構想の実現に向けた布石として、具体的かつ実際的な打ち手となるとして注目を集めている。
5.デジタル化の価値と意義
現実社会の変革に向けて
当社の事業は、水道だけではない。ガス、鉄道、プラントなどの劣化・破損などの予測に対しても、独自の機械学習アルゴリズムの適用を進めている。2019年より、ガス配管の劣化を予測する実証実験を東邦ガスと着手し、世界初の試みとして注目を集めている。その他、鉄道、環境関連、通信、電力、プラントなどの各種インフラアセットにおいて、機械学習によるメンテナンスの効率化・高度化に向けた協議や取り組みを進めている。
当社の技術は、公共分野であるインフラの状況をデジタル化することで効率化・最適化を目指すものだが、デジタル化はあくまで手段であり、目的やゴールではない。単に問題定義・解決プロセスの通過点にすぎない。当社の使命は、人々の生活や社会を支えるべきインフラが、逆に社会にとっての負債や重荷とならないように、多くの構造的な課題を解決し、社会益を創り出すことにある。科学技術を駆使して現実社会が直面する課題に深く斬り込み、問題の構造やその対処策にデジタルツールを用いて分析評価することで、デジタル空間での問題定義・解決プロセスのサイクルの高速回転化を図ると共に、現実社会での試行錯誤を極力減らし、試行錯誤に伴う悪影響を最小限に留めようと狙うものである。デジタルツールと生身の担当職員の方々がしっかりタッグを組んでこそ、デジタル化の意義が増し、その真価が発揮される。デジタルイノベーションは常に現実社会とともにある。
樋口 宣人(ひぐち のりと) Fracta事業開発ディレクター 東大工卒、スタンフォード大経営工学修士。 1990年三菱総合研究所。専門はOR。官公庁の政策立案支援等の調査研究に従事。その後、2000年ケンコーコム(株)常務取締役COOなどベンチャー企業経営者を歴任。2019年Fractaに参画。日本の総責任者として事業統括にあたる。 同社の提供する上水道配管の劣化(破損確率)を予測するソフトウェアサービスは既に全米27州60社以上において配管のメンテナンスに採用されている。 |