現代社会においては、人口減少や急激な環境変化など多種多様な課題が存在し、今後は現在の行政ツールだけでは十分に対応できない状況が見込まれる。そのため、時代の変化に適応し、有効な施策を速やかに実施していくことが行政でも求められている。
そこで、岸和田市では、スマートフォンなどの普及に伴うAR(Augmented Reality:拡張現実)技術の発展に着目し、広報分野や観光分野をはじめ行政における活用可能性について調査研究を行った。調査研究では、先行事例(自治体)の調査・アンケート、実証実験に加え、AR技術を活用するうえでの課題について整理している。
本記事では、以上のような同市の取組みについて紹介する。
1.AR活用に関する研究開始の経緯
岸和田市は寛永年間(17世紀初め)以降城下町として栄え、明治中期以後は綿織物を主とする紡績工業都市として発展してきた都市です。その後、金属、機械器具、レンズ工業が発展し、1960年代には木材コンビナート、鉄工団地も建設され、工業都市として発展してきました。読者の方には「だんじり祭」で本市をご存知の方もいらっしゃるかと思います。
本市の本町地区には、江戸時代から続く歴史的町並みが残っており、各地から観光客が見学に来られます(図表1)。そこで、普段見学する事ができない歴史的建築物の内部や、移り変わる町並みの様子を疑似体験できる仕組みを構築したいとの意向を持っていたこと、また、地域の人たちによる町並み保存への機運を将来にも継続していきたいとも考えていました。
図表1 本町地区の町並み
(出典)岸和田市まちづくりの館ウェブサイト
こうしたなか、中長期的な視点から本市を取り巻く社会情勢に対応したより良いまちづくりの実現を図るため実施すべき重要な政策について検討を行う庁内横断型の研究に関するテーマとして、岸和田市景観審議会会長である大阪市立大学院の藤田忍教授から、実在する風景にバーチャルの視覚情報を重ねて表示することで、目の前にある世界を仮想的に拡張する、ARを活用してはどうかとのアドバイスを頂いたこともあり、歴史的町並みへのARの活用について調査研究に着手しました。
本市では2014年6月1日に一般社団法人全国防災共助協会と「減災を目的とした防災ARに関する協定書」を締結し、防災ARアプリ「みたチョ」を公開していますが(図表2)、全庁的な展開の可能性について検討してみようとの考えから、庁内横断型の研究として実施することとしました。
図表2 「みたチョ」画面(最寄りの避難所への方向と距離の表示)
(出典)岸和田市ウェブサイト
2.研究の概要
今回の研究では、大きく(1)活用事例の調査と先行自治体へのアンケート、(2)ケーススタディ(実証実験)による検証を行いました。以下で、各項目の詳細についてご紹介したいと思います。
(1)活用事例の調査とアンケートの実施
はじめに、民間企業や自治体における活用事例について、文献をもとに調査を行いました。このうち、自治体については豊中市における広報紙での活用事例、姫路市における姫路城の解説での活用事例(「姫路城大発見」)、および茅ヶ崎市における防災での活用事例(「天サイ!まなぶくん」)を調査しました。これらの事例を調査したところ、導入の方法として、図表3のような2つのパターンがあることが分かりました。
図表3 AR導入のパターン
(A) 一定規模の費用を投入して新たにアプリを構築するパターン (B) 既存のプラットフォーム型アプリを利用するパターン |
(出典)研究所作成
これらの事例調査から、プラットフォーム整備のパターンや整備に伴う費用負担の状況は分かったものの、本市でARを導入するにあたっては、他の自治体での導入事例をより多く把握し、導入にあたっての課題を整理する必要があると感じました。特に、ARの導入に際して人員、業務量がどの程度要するのか、費用がどの程度かかるのか、またそのための資金調達はどのように行っているのかに関心がありました。
そこで、2017年6月~ 7月にかけて先行自治体へアンケート調査を行い、導入時や運用時の費用や課題の実態を把握、整理することとしました。インターネットで検索を行い抽出された42団体のうち、38団体にEメールで調査票を送信したところ、25団体(28部署)より回答を得ることができました。以下でアンケート結果の概要をご紹介します。
①導入・管理体制
設問6-1:どのような体制で導入されましたか。
8割近くの自治体が市単独で実施、または事業を委託していました。また、大学や企業等と共同で取り組みを進めている自治体もありました(図表4)。
図表4 AR導入の体制
(出典) 岸和田市(2018)「『行政ツールとしてのAR導入の可能性』に関する調査研究 共同研究報告書」
②費用
設問6-2: 導入に当たって国等の補助金を活用されましたか。
全体では交付金を活用した自治体の割合は約3割でしたが、(A)アプリを新たに構築した自治体に限定すると、交付金を活用して導入した自治体の割合は約7割にのぼることが分かりました(図表5)。
図表5 補助金の活用
(出典)岸和田市、前掲報告書
③課題
設問11: 課題(技術面・運用面・体制面・コンテンツ面等)はありますか。
(A)アプリを新たに構築した自治体では、「OSのアップデートへの対応」、「機種・OSにより不具合がでる」といった技術面の課題を挙げる自治体がもっとも多くなりました。一方、(B)プラットフォーム型アプリを利用した自治体では、「動画撮影・編集の手間」、「業者委託終了後の運用」、「利活用の促進」といった運用面の課題を挙げる自治体が多い結果となりました(図表6)。
図表6 アプリ導入別 課題の内訳
(出典)岸和田市、前掲報告書
④効果
設問12:導入し、効果がありましたか。
(A)アプリを新たに構築した自治体の71%は効果があると回答したのに対し、(B)プラットフォーム型アプリを利用した自治体で効果があると回答したのは52%に留まりました(図表7)。
図表7 導入手法別にみた効果
(出典)岸和田市、前掲報告書
⑤今後の事業展開
設問13: 貴団体において、AR導入事業の今後の展開についてお聞きします。
(A)アプリを新たに構築した自治体のうち、拡大の意向を示した自治体が42%ともっとも多かったのに対し、(B)プラットフォーム型アプリを活用している自治体では現状維持の意向を示す自治体が64%ともっとも多い結果となりました(図表8)。
図表8 導入方法別にみた今後の事業展開
(出典)岸和田市、前掲報告書
以上の結果から、AR導入方法と費用、効果の関係は図表9のように整理することができました。
図表9 導入方法と費用、効果の関係
導入方法 | 費用 | 効果 |
アプリを新たに構築 | 多額 | 大きい |
プラットフォーム型アプリを利用 | 少額 | 小さい |
(出典)研究所作成
(2)実証実験による検証
アンケート調査の結果を踏まえて、本市としては、将来的に活用でき、庁内のみならず庁外の方でも使え、ARについて手軽に知ってもらえること、また安価で、かつ一定の効果は出ると見込まれることを優先し、前節で述べた費用面も考慮してプラットフォーム型アプリ(※1)を活用するほうが良いとの判断に至りました。そこで、自分たちで調査し、学習しながら実証実験に取り組むこととしました。
実証実験で苦労したのは、いかにして提供する情報を準備するかでした。まず、情報の素材については、だんじりの動画を撮影している職員がたまたま庁内にいたことから、動画の提供協力のお願いをし、職員の好意で提供してもらったことによりクリアすることができました。次に、ARを体験いただく方に動画をみてもらうには、最適なシーンを一定の時間内に収めることが必要となります。そのために、まずは編集用のフリーソフトを見つけるところからスタートし、動画を一定の時間内に切り取ったうえで、アプリにアップロードできる容量までデータを軽くし、さらに動画に合うような音楽や文字を当てはめるという作業を行いました。これら一連の作業はまさに手探りで進めましたが、今後職員の異動でノウハウが消失し、継続できなくなるといったことのないよう、また他の部署でも使えるよう、手順については細かく記録しました。
なお、これらの作業を庁内で行う際には、セキュリティの懸念が出てくることと思います。本市でも、セキュリティ担当部署と協議を重ね、許可を得たうえで、庁内PCで作業を行いました。また、動画にあてる音楽の著作権も気になるところかと思いますが、こちらは同時期にオープンデータに関する取り組みを行っており、著作権について一定の理解があったことがプラスになりました。
以上のような課題を一つずつクリアしながら、最終的には10個のコンテンツを制作することができたところで、AR技術が効果的かについて検証することを目的として、町並みに関する講演会が開催された2018年1月20日に岸和田だんじり会館および岸和田市立まちづくりの館で実際に体験してもらうこととなりました(図表10)。
図表10 実証実験を行った岸和田だんじり会館
(出典)岸和田だんじり会館ウェブサイト
実証実験では、だんじり会館およびまちづくりの館に展示されているポスターなどにARアプリを利用して、AR動画を設定し、事前の設定を済ませたタブレット端末で来館者にAR動画を見てもらい、アンケートに回答してもらうという流れで実施しました(図表11)。事前に市のほうで準備したタブレット端末で体験してもらうかたちにしたことから、さまざまな世代の方に体験いただくことができました。
図表11 実証実験の様子
(出典)岸和田市ウェブサイト
体験者のアンケート結果(回収数:57枚)を見ると、ARについて知らなかった方が半数以上でしたが、体験の結果、おもしろかったと回答した方の割合が87%であり、ARの体験を通じて展示物に対する印象や興味関心が変わった方も半数以上でした(図表12~14)。
図表12 ARを体験したことがあるか
(出典)岸和田市、前掲報告書
図表13 ARを体験してどう感じたか
(出典)岸和田市、前掲報告書
図表14 ARの体験前後で展示物の印象や興味関心が変化したか
(出典)岸和田市、前掲報告書
その一方で、気づきもありました。今回はARの利用を積極的にお知らせする形で行いましたが、継続的にポスターを展示し、自由にAR動画を見てもらえるようにした場合には、ARを知らない方にとってはそれがどのように使えるのかが分からないままになってしまいます。したがって、使い方の周知が大きな課題であると言えます。また、今回の実証実験の動画は、タブレットだけではなくスマートフォンでも利用可能でしたが、事前の登録・アプリのダウンロードが必要になります。今後の活用を考えた場合、ダウンロードの手間をいかにして軽減するかも課題になると考えています。さらに、長時間同じ姿勢で掲げていると疲れるので、動画の時間設定にも留意する必要がありました。
(※1)具体的にはHP Reveal(旧:Aurasma)を利用しました。これは、既に先行自治体で多く採用されているほか、導入に当たって費用がかからないことによるものです。
3.今後の展望と課題
先程のアンケート結果にも出ていた観光分野での活用は、インバウンド観光客向けの多言語のARアプリや小学校の自主学習への活用といった用途が考えられます。また、窓口においての活用例として、例えば介護サービスの利用を希望される方に対して、どんなサービスが受けられるか、どんな機器が使えるかを動画で体験してもらうといった使い方もあると思います。さらに、防災についても、既に「みたチョ」アプリを提供していますが、さらなる活用方法がないか模索しているところです。
このように、さまざまな用途での活用が期待されるARですが、活用に当たっての課題も残されています。1つ目に、ARの制作のノウハウをどのように継承していくかです。今回のAR動画の制作にあたって参照した説明書の中には、英語で記載されたものもあり、初めからスムーズに進んだわけではありません。今回の経験を踏まえて、手順書の作成や、今回担当した職員から同じ部署の他の職員へのレクチャーなど、ノウハウを蓄積し、より多くの部署で職員がARを活用できるようになる、いわば「取り組みを眠らせない」環境づくりが重要であると考えています。次に、提供できる素材があるかどうかも重要です。今回のケースでは職員の好意で素材を入手することができましたが、庁内に適切な素材がない場合は、どのように入手するかが課題となります。さらに、ARに限らず、新たなテクノロジーをある自治体単独で研究し、実用化することは容易ではありません。この点では、国や都道府県が橋渡しの役割を担っていただくことも一つの方法ではないかと思います。
上記のような課題はありますが、今回の実証実験を通じて、本市として庁内でARを活用する可能性は大いになると感じました。引き続き、AR活用に向けた取り組みを検討していきたいと考えています。