「このまま行くと、日本は危ない」。危機感は、おそらくどんな業界、どんなセクターであっても、多くの人が感じていることだろう。時代が大きく変わろうとし、すでに大きく変わっているなか、来たるべき新しい社会のかたちにあわせて自分たちもアップデートしなくてはならない。企業のみならず、そこで働く多くの働き手もまたそう感じながら、どうしたらいいのかわからぬまま時間を浪費しているのではないかという焦燥の中にいる。さりながら、じゃあいったいなにがそんなに「危ない」のかを尋ねてみると、答えは実にあやふやだ。会社の業績が必ずしも悪いわけでもない。新しい試みも少しずつ芽が出始めていたりする。聞けば、現実的にみて向こう20-30年くらいは食えそうな見通しもある。とすると一体何をそんなに焦っているのか。よくわからない。
けれども、折に触れて地方を訪ねるうちにわかってきたことはある。おそらく問題は「経済」ではないのだ。むしろ、人びとが「危ない」と感じているのは「生活」なのだ。いうまでもなく「経済」だけで「生活」は成り立たない。「生活」のすべてを買うことはできない。いくら経済的に豊かになろうとも、その豊かさを実感できないという焦燥が、いま「経済」そのものをも脅かしているのでないか。「経済」の外にある空間が徐々にやせ細っていくなかで、それをいったい誰がどうやってケアするのか。
これまでであれば「公共セクター」と呼ばれるものがそれを担ってきた。けれども、それがますます機能しなくなっていることへの危機感が大きく募っている。端的に言うと「日本が危ない」の真意は「行政が危ない」というところにある。しかし、それはなにも日本に限った話ではない。世界的に見られる現象だ。デンマーク・デザイン・センター(以下DDC)のCEOを務めるクリスチャン・ベイソン氏に、行政府の過去、現在、未来を聞いた。