ライゾマティクスという名前を聞いて、ドローンやレーザーアートを思い出す読者の方も少なくないだろう。日本を代表するアート集団である彼らは今や日本のみならず世界のデジタルシーンを席巻している。
記憶に新しいのは2016年リオオリンピック閉会式で安倍首相がスーパーマリオに扮したフラッグハンドオーバーセレモニーである。椎名林檎の音楽に合わせ、「TOKYO」を思い切り表現したショーは多くの観客の心を掴んだ。テレビの前にいた日本人は「日本ってかっこいい!」と思ったに違いない。ライゾマティクスがデジタルとアートを利用して生み出す世界は日本のテクノロジーを凝縮したものと言える。
ライゾマティクスを立ち上げた1人である齋藤精一は建築家のバックグラウンドを持つ。東京工業大学を卒業後、コロンビア大学で建築学を学んだ齋藤は、2006年に真鍋大度氏とライゾマティクスを設立する。ライゾマティクスは2020年東京オリッピック組織委員会にも関わっている。まさに日本のクリエイティブを背負って立つデザインカンパニーだ。そんな齋藤が現在取り組んでいるのが、都市の3Dデータ化である。日本においては都市の3Dデータ化はまだ整備が追いついておらず、Googleを始めとした外資系企業にそのお株を奪われている状態である。都市に新たな視点をもたらす3Dデータを街と共に作るプロジェクトは、それをラボ(実験)と捉え、デジタルインフラ化が整った未来で生まれる新たな体験や価値をステークホルダーと共に探る取り組みだ。東京でも上位の複雑構造を持つ渋谷駅周辺750メートル四方の3Dデータ化。そのデータをもとに街の構造を可視化し、新しい街作りを進めていくのがプロジェクトの目的である。
取材・文/増田 睦子
1.なぜ今、3Dデータ作りに取り組むのか
日本の国土は起伏の激しい地形です。そのような地形でありながら、2Dの地図が主流となっています。しかし、昨今ではドローン宅配や自動運転などの分野で3Dデータが求められるようになっています。建築の分野においてもBIM(Building Information Modeling)やCIM(Construction Information Modeling/Management)などの設計システムを利用するにあたり3Dデータは必要とされます。グーグルマップなどがありますが、衛星から丸ごとスキャンしてくるようなデータは日本独自のものとは言えません。日本はスキャン技術や画像処理技術は十分先進的なクオリティのものを持っているにも関わらず、都市の3Dデータという分野には反映されていないのです。なぜこのような状況なのかを考えてみたとき、横のつながりが無いからなのではないかと考え至りました。つまり、日本のような国土においては3Dデータが必要なのに横のつながりがないために実現できていないのです。今回の渋谷駅における3Dデータ化の取組(3Dcel)は経済産業省と、私たちライゾマティクスの中にあるライゾマティクスアーキテクチャーという部門が協働で行ったプロジェクトです。渋谷駅の地下街だけをとってみても、地下鉄は東京メトロ、駅ビルは東急電鉄、地上は渋谷区、といったように様々なステークホルダーが関わってきます。3Dデータを作成するにあたっては、各関係部署にそれぞれプロジェクトの趣旨説明をおこない、同意を得て、許可をとる必要がありました。果てしない時間がかかる作業です。そこをライゾマティクスが中心となり、「これは実験ですから、一緒にやってみましょうよ」というムーブメントを起こすことにしたのです。ステークホルダーとなる企業の担当者を全て集め、渋谷駅の地下を一緒に見学しました。「構造はこんな風になっているんだ」と渋谷駅の複雑な地下構造を共に体験することで、3Dデータ化への協力を仰ぎました。ステークホルダーを巻き込む形でプロジェクトをスタートさせたのです。
2.都市の3Dデータ化にみる「行政がイノベーション創発においてできること」
地図はプラットフォームですので、様々な事業やイノベーションの基盤となりうるものだと思います。そういう意味でも2Dデータ地図よりも3Dデータ地図の方が今の時代に必要なものだと言えます。これは私の考えですが、日本のイノベーションを推進するために、行政にはマネタイズできるかどうか分からないものにこそどんどん介入し、共にチャレンジをしていって欲しいと思っています。なぜなら、市場が明らかに見えているもの、もしくは予想できるものについては、行政が取り組まずとも民間ですでに検討され、取り組みが始まっていることが多いからです。しかし、都市の3Dデータ化のように行政の協力を仰がないと取り組めないような少しハードルの高いものだと民間はなかなかチャレンジしようとしません。国土地理院や国交省には過去に3D都市データ化のワーキンググループがありましたが、我々が必要としているような3Dデータの構築は思ったように実現できなかった。今回の取り組みではそれを反省しつつも、「こうやればできるんだ」というのを証明してみようと思いました。経済産業省の協力を得ながら、渋谷駅という一つのランドマーク周辺における都市の3Dデータ化の成功事例を作りたかった。渋谷駅は再開発を行なっている最中ですし、2020年の東京オリンピックに向けてとても象徴的になる街だと思います。渋谷区自体がイノベーション創発に協力的な自治体なので、ここで成功すれば他の自治体に波及していくだろうとも考えました。
地下データ、地下の発展は海外と比べても日本の発展は著しいものです。都市開発において地下空間は重要なものですし、日本の優れた鉄道(地下鉄)開発や高速道路開発は後世の開発のためにもデータ化なくては行えません。これらは航空測量ができないので、日本の会社がやらなくてはならないものです。しかしこれらはエベレスト登頂と同じで、色々な人が登ろうとしたけど諦めてきたものでした。関わっている人がきわめて多くなり、調整だけで膨大な手間と時間がかかってくるので諦めてしまうのです。私の場合、政治的背景が全くないので、東急や東京メトロといったステークホルダーを集めて、一緒に意思決定していこうと考えました。1社ずつ回っていくと、ここからここまでは我が社で許可を下ろせるが、ここから先は難しいと言われ、たらい回しになってしまいます。
これは私たちデザイナーのやり方なのかもしれませんが、合意を得るにあたってまずステークホルダーに対して、地図を作るとどういうベネフィットがあるかというのを目に見える形で示すようにしました。そうすると最近では各社にIoTに関する部署やイノベーションに関する部署がありますので、皆さん「地図データができればこんなことができるんじゃないか」「センサーを埋めて、こんなデータが取れるんじゃないか」と言った具合に、一気に創造的になってくれます。ただ、まだ今の時点では3Dデータのベネフィットは未知な部分がありますので、今回のプロジェクトについては「3Dデータを作るためのチャレンジラボ」をやってみるという部分がベネフィットであると話をしました。つまり、プロジェクトで得られるデータで「こんなことができるのではないか」というアイデアが創発され、さらに実際に3D都市データが完成すればステークホルダーのイノベーションも実現できるかもしれない。「まずはチャレンジしてみましょう」ということで横のつながりを作っていきました。
3.1年間の3Dラボでわかったこと
今回、約1年間にわたり渋谷駅の都市3Dデータ化プロジェクトを行いました。先ほども言及した通り、3Dデータの可能性はわかりましたが明確なベネフィットを提示するところまではたどり着きませんでした。しかし、このプロジェクトに関して非常にたくさんの自治体や省庁が関心を示し、問い合わせをいただきました。都市の3Dデータ化に興味を持っていただくきっかけの1つになったと感じています。3Dデータの作り方に関する明確な方法は今回のプロジェクトを通じて見えて来ましたので、今後それらの情報が波及しながら各自治体や省庁で動きが出てくればいいなと思っています。
写真 3D City Experience Lab.
(提供)ライゾマティクス
シンガポールやヘルシンキでは都市の3Dデータをオープンデータ化し、スタートアップなどがどんどんそれを利用しています。ドイツのベルリンにはインフララボ(InfraLab:電気、ガス、水道、ゴミ処理といったインフラに関わる大企業6社によって運営されているラボ。持続可能な都市と市民生活の改善をテーマに大企業とスタートアップが共にイノベーションで課題を解決しようと運営されている。https://infralab.berlin)というものがあり、インフラに関するオープンデータを集積し、公開しています。それらのデータを民間が利用し、イノベーションを生み出しています。彼らは行政と共にワークショップをおこない、データ活用を推進しています。最近のドイツではインフララボに代表されるように、「行政のデータを使って、みなさん新しいイノベーションを起こしてください」といった方向へ向かう潮流があるように感じます。日本ではまだそこまでの動きは出ていませんが、私たちのようなイノベーションを生み出そうとする人間が、例えば3Dデータのようなテーマに光を当てて、社会へ発信していくのが重要なのではないかと思っています。PDCA(plan-do-check-act)サイクルのD(Do=実行)をやっていく必要がありますし、モノづくりの現場からチャレンジを提案していければと思います。
特に3Dデータについては、このままの状態でいくと、今後ほとんどのドメインが欧米によって取得されてしまう可能性があります。日本の国土情報、産業の根幹となる地図データについては日本自身でドメインを持っていないといけないのではないでしょうか。
最近、建築業界ではCIMデータを作成する際、ドローン等を利用するようになりました。建築業を効率化する取組みとして、3Dデータの利用が重要であると指摘されるようになったからです。もともとドローン利用の免許取得にいらっしゃる方もほとんどが建築現場で実際に設計等を担当されている方です。3Dデータの作成はある意味地味な取り組みなので、地方自治体にとってはなかなかメリットを感じにくい分野かもしれません。たとえばドローン特区として地方創生を頑張っている自治体などであれば、ドローンを利用した価値ある3Dデータ化の取り組みをできる可能性があるのではないでしょうか。こういった国土情報の基盤となるデータ作りについては、行政はベネフィットがあるかないかではなく、「タネを蒔いて芽を出す」という視点で取り組んで欲しいと思っています。
4.イノベーションが起こりにくい国、ニッポン
新しいテクノロジーを利用して、イノベーションを起こすという「モノ作り」を生業としている僕たちからすると、これは行政だけの課題ではありませんが、街に関わる新しいニーズや可能性を掘りきれていないように感じています。それは助成金のような行政の協力がうまく行き届いていないという点もありますし、スタートアップやイノベーションを起こしたいという側も「モノづくり」を徹底できていない点も挙げられます。つまり、作りたいものを作るということよりも、マネタイズできるかどうかに主眼がいきがちなのです。「愛がないスタートアップ」と敢えて表現しますが、日本においてはマネタイズに主眼を置いたイノベーションはうまく発展できないように感じています。自動洗濯折りたたみ機を長年にわたり作ろうとしているセブン・ドリーマーズという会社があります。私たちは何年もこの企業のブランディング等に関わっていますが、彼らは本当に「自動洗濯折りたたみ機を作りたい」という目標のために努力をしているんですよ。そこには「モノづくり」への愛がある。
私は政府の研究会などのメンバーにもなっていますが、そういうときによくこう話をします。「行政は『この指とまれ』の指を立てる必要はないんだ」と。つまり、この指とまれと指を立てるのは民間でいいのです。行政にはそれに対して「とまった!」と協力して欲しい。日本の本当に強い部分、底力のある部分は「モノ作り」ではないでしょうか。そこに力を貸してもらい、一緒に発展させて欲しいと思っています。
5.2020年東京オリンピックに向けて クリエイターと行政の関わり
2020年に開催される東京オリンピックに向けて、東京近郊の各地では街のリデザインが進んでいます。私たちが携わったものとしては虎ノ門地区における新虎通りプロジェクトがあります。2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックの際に、選手村とスタジアムを結ぶ重要な道路の一部として位置付けられている地域であり、道路を賑わいの場として活用する「東京シャンゼリゼプロジェクト」などが展開されています。広幅員歩道部の沿道一体が「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」に基づく街並み再生地区に指定されており、フランス・パリのシャンゼリゼ通りのようなオープンで国際的な通りを目指しています。昨今の都心部ではどの街も同じようなビル、同じような構造で再開発を進めてきました。その結果、東京の都市部は無機質でどこも大差のない街ばかりになってしまいました。東京オリンピックという大きなイベントに向けて、街をリデザインできるチャンスだと思っています。「こうしたい」という思いがある自治体の方々にはぜひ僕らのようなクリエイターに意見を求めてもらえたらと思います。現在ドバイ万博での日本館に関するクリエイティブアドバイザーを務めさせていただいていますが、オリンピックのあとにやってくるドバイ万博も日本のイノベーションを加速するきっかけになるはずです。新しいクリエイション、才能、ビジネス、そういったものをどんどん世界に発信し、日本のイノベーションを加速していく。日本の若者たちにそういう光を見せていくことが、僕たち世代の役割ではないかと思っています。
齋藤 精一(さいとう せいいち) Creative Director/Technical Director : Rhizomatiks |