1.はじめに
昨年5月にIT戦略本部で決定された「デジタル・ガバメント推進方針(以下「推進方針」)」では、従来のIT投資の圧縮に軸足を置いた政策から、利用者価値の最大化を図る方向へと電子行政の軸足を移し、行政サービスをデジタル前提で再設計していく方針が示された。こうした行政サービスのデジタル化に向けた改革の取組みは日本のみならず世界各国で進行している。中でも変革のリーダー的役割を演じてきたのは英国であるが、同国内閣府でオープンな政策形成に取り組む組織「ポリシー・ラボ」はこうした改革を、「デザイン」「データ」「デジタル」の3つが重なる「政策形成における3つのD」として表現している(図1)。日本でも、表現は違えどもこの3点が重視されていることは共通している。「推進方針」の内容に照らせば、行政サービスを利用者の一連の体験に基づいて再設計するサービスデザイン思考の導入が「デザイン」に、行政のオープン化を一層推進し、保有データを活用することが「データ」に、モバイル等のデジタル技術を徹底活用することが「デジタル」に、それぞれ符合するといえよう。
図1 政策形成における3つのD
(出典)英国ポリシーラボ ベアトリス・アンドリュース氏 第12回仮想政府セミナー講演資料を翻訳
しかし、こうした共通の課題にどのように取り組むべきかについては、一定の方法論があるわけではなく、各国それぞれの事情に応じて最適解は異なる。各国の電子行政の担当者は、ICA会議(行政における情報技術の利用に関する国際会議)をはじめとする国際会議等の交流の機会を通じて、知識やノウハウを交換しながら、それぞれが手探りでデジタルサービス改革という新たな課題への取組みを進めている。
本稿では、国連の電子政府世界ランキングでも常に上位を占め、その先駆的な取組みが注目されることも多い豪州について、特に連邦から独立した政府としての立場と、住民サービスの直接提供者としての立場を併せ持つ州政府において、デジタルサービス改革がどのように実践されているのかを、実際の事例を交えて紹介していく。対象とするのは、キャンベラの首都特別地域(州に準ずる自治体。以下「ACT地域」)、ニューサウスウェールズ州(以下「NSW州」)およびヴィクトリア州(以下、まとめて「3州」という)の各州政府での取組みである。
なお、本記事は、昨年度、当研究所がこれら3州に対して実施した現地調査の結果に基づいて作成したものである。
2.デジタル課題の我が国との共通性
まず前提として、豪州の行政機構の特徴を整理しておく。豪州は連邦制国家であり、国と州政府との関係は日本における国と自治体との関係と比べると対等の関係に近く、いわば行政サービスを“分担”している(※)。このため、その改革も自らのイニシアティブに基づいて、地域独自の課題認識や制約条件に立脚して考え抜かれた、オリジナリティに富むものとなっている。
3州が抱える行政課題は日本とはかなり異なっている。経済の成長と移民の流入によって人口増加が続いており、これに伴うインフラ不足、青年失業率の高さ、住宅不足といった、現在の日本では見られない事象が課題の中心である。他方で、電子行政を巡る環境は、基幹業務のシステム化はほぼ完了していること、デジタル技術を活用できるインターネットその他のインフラが整っていること、教育レベルの高い優秀な人材が豊富に存在することなど、日本と共通点も多い。また、電子行政に関わる課題も共通している。例えば、特にウォーターフォール型開発の場合、的確に利用者ニーズを反映できていないこと(デザインの課題)、組織をまたいだデータの共有と活用が十分にできていないこと(データの課題)、システムが業務ごとにサイロ化しており、紙ベースの処理が残っていること(デジタルの課題)などは我が国の行政情報システムの課題と共通している。また、こうした課題に対する政策的な対応の方向性も、「推進方針」が目指す方向性と概ね共通している。異なるのは取組みの進捗段階である。我が国では、本年1月に「デジタル・ガバメント実行計画」が決定され、今後「推進方針」の実現に向けた改革の実行が本格化してゆくことになる。他方で、3州では既に具体的な改革が進展しており、成果も上がり始めている。これらの取組み内容は、今後、同様の改革を進めていこうとする我が国政府や自治体にとっても参考になるところが少なくないと思われる。
以下、「3つのD」の切り口から、各州でどのようなアプローチがとられたのかを追っていく。
(※)国防、外交、通商、租税、通貨、移民等の特定の事項以外は州政府が立法権を持つ
3.デザインの視点:サービスデザイン思考の実践
現在の3州におけるデジタルサービス改革の取組みは何らかの形でサービスデザイン思考に基づいている。特に重視されているのは徹底した市民中心(Citizen-Centric)ないし利用者体験(Customer Experience)への立脚である。例えば、NSW州が現在のデジタル・ガバメント戦略である「NSW Digital Government Strategy」を策定した際には、まず政府が市民から何を求められているかを把握するため、コンサルタントを雇って1,000人の市民を対象とした大規模な調査を行っている。その結果、行政の最大の問題は、市民と政府との関わりが組織ごとに縦割に分断されていることであることを明らかにした。同州ではこの結果を踏まえて、市民が政府とのやりとりを「スマートに、簡潔に、シームレスに」することをビジョンとして掲げ、サービスの見直しを進めている。一般に、行政機関のユーザー調査では、調査主体となる部門が認識している課題に基づいて仮説を立て、それを立証するために調査を行う形になりがちである。しかしながら、個別部門にとっての結論ありきの調査から組織横断的な課題解決の方向性が導出されることはない。NSW州は、利用者視点に立って現状把握を行うことで、今まで見えなかった組織横断的な課題の存在を、事実(Evidence)をもって確認し得たと言える。
課題の本質を把握し戦略を立案したら、次はいかにそれを実行するかである。サービスデザイン思考に基づくプロジェクトでは、一般に課題解決はアジャイル型で行われる。すなわち、予め仕様を決め打ちにせず、プロトタイピング(短サイクルでの試作とテストの反復)を通じて、利用者のフィードバックを得ながら要求を明確化し、サービスやシステムを作り込んでいく。しかしながら、行政機関がこれを実行するのは容易ではない。特に、政府調達制度による制約は、日本だけでなく、諸外国でもジレンマとして認識されている。入札で求められる“機会の平等”を突き詰めれば、予め入札の要件は明確でなければならず、必然的に仕様の決め打ちへと帰結するし、調達手続に時間がかかるため、アジャイル(俊敏)とは程遠い開発工程となりがちだからである。
これをヴィクトリア州保健福祉省では、図2に示す「プラットフォーム+アジャイル」というアプローチをとることで解決している。システムのインフラを提供するクラウドサービスを3年程度の長期契約で確保し、その基盤上でプロトタイピング型の開発をスピーディーに行うのである。インフラから構築する必要がなくなる上、アプリケーション開発もツールやAPI(Application Programming Interface)が充実しているため容易であり、結果として、開発の内製化が可能となっている。同省では、かつてはソフトウェア開発を完全にアウトソースしていたが、現在は50名ほどのプログラマーを職員として抱えるに至っている。ただし、すべての開発を抱え込むわけではなく、案件によってはITベンダーとパートナーシップを組んでの外注も行っている。重要なのは、自ら開発のイニシアティブを発揮できる環境を整備することで、初期段階でのトライ&エラーを可能とし、予め仕様を決め打ちにしなくても済むようにしていることである。なお、こうなると特定のプラットフォーマーにベンダーロックインされそうだが、この点は、領域によって複数の企業のプラットフォームを利用することで選択肢を確保し、明日にでも乗り換えができる体制を維持することで、緊張感あるパートナーシップを築いているとのことである。
図2 プラットフォーム+アジャイルのイメージ
(出典)ヴィクトリア州保健福祉省
4.データの視点:政府自身によるデータ活用の組織化
行政におけるデータ活用の理念や方向性は、日豪間でそれほど変わるところはない。例えば両国とも、
・ データを抱え込まず組織を超えて共有していくこと
・オープンデータとして公開していくこと
・官民共創でデータ活用を推進していくこと
・ データに基づいて行政の意思決定を行っていくこと
の重要性を強調しており、様々な戦略や計画、我が国で言えば「官民データ活用推進基本法」や同「基本計画」のような形で具体化している。
異なるのは、行政がどこまでデータ活用の主体となり得ているか、という点である。我が国の行政機関では、行政の役割はルールや環境の整備を通じてデータ活用を後押しすることであり、実際にデータ活用を実践するのは民間側の役割であるとの意識が強い。最近でこそ「統計改革推進会議 最終取りまとめ」によってEBPM(証拠に基づく政策決定)がクローズアップされてきたが、行政自らのイニシアティブによるデータの活用はまだこれからの段階である。この点、3州では、実際に政府自らがデータから洞察を得て、政策立案に活用していくことを当然と考えている。もちろんオープンデータの民間での活用には期待をかけており、経済波及効果の試算まで行っているが、データ活用の主体はまずは行政自身である。データ分析を的確に行うためには、専門の組織とヒトが必要となることから、3州ではそれぞれ表1のようなデータ分析の専門機関を設け、データサイエンティストも採用している。
表1 3州におけるデータ活用専門領域
・ACT地域:ACT Data lake
・NSW州:NSW Data Analytics Centre
・ヴィクトリア州:Data61
・同:Center for Data Insight |
3州の政策担当者には、データは実際に課題解決に役に立つものであるとの確信がある。その信念は、政府自らが実際のデータ分析を行い、政策に活用して有用性を実証してきたことで培われたものと考えられる。
5.デジタルの視点:ペーパーレス化を通じたサービスの統合と働き方改革
データを分析するためには、まずは情報の流れがデジタル化されていなければならない。この点、3州はいずれも業務のデジタル化、より端的に言えばペーパーレス化を、共通の目標として掲げている。業務のデジタル化によって実現が期待される施策のうち最大のものがサービスのワンストップ化である。従来は紙と口頭によって、各機関それぞれに対し手続をしなければならなかったところ、現在、3州ではいずれも表2のような組織横断的なサービス提供ポータルを構築し、ワンストップ化を実現しつつある。
表2 3州のサービス総合ポータル
・Access Camberra(ACT地域)https://www.accesscanberra.act.gov.au/#/ ・digital.NSW(NSW州)https://www.service.nsw.gov.au/ ・Service Victoria(ヴィクトリア州)https://service.vic.gov.au/ |
これらのポータルの基本的なコンセプトは共通している。従来縦割状態だったサービスをまとめることにより、住民側にとっては、手続が一か所で済む、窓口に並ばずオンライン上で手続を完結できる、手続がオープンになるといったメリットが得られる。また、行政機関側にとっても、窓口対応や書面授受・管理に伴う業務処理プロセスの簡素化、組織ごとに設定されている手続の重複排除といったメリットが得られる。
同様の政府横断型ポータルは、元祖ともいうべき英国のGOV.UKをはじめ、様々な国で見られる。しかしながら、多くの場合、一元化されているのは手続の組織横断的な検索と各担当機関のサイトへの誘導までである。この3州のサイトでは、手続によっては、実際に同サイト上で申請から支払いまでを一貫して完結することも可能となりつつある。その際、ACT地域などでは、利用者に代わって連邦政府からデータを入手するところまで踏み込む「ワンスオンリー」化も進めている。
デジタル化の別の側面の取組みとして、職員が業務を遂行する際のマルチデバイスの導入も進められている。ヴィクトリア州では、モバイル端末を一元管理して仕事の自由度とセキュリティの両立を図るMDM(モバイル端末管理)の仕組みを、同州のシェアードサービスセンター「CenITex」を通じて提供している。近い将来にはさらに、アプリケーションの操作を、セキュリティを担保しつつ、どこからでも、どんな機器からでも同じように行えるようにするEMM(エンタープライズ・モビリティ管理)の仕組みへと発展させるべく、現在、PoC(概念実証)を行っている。
また、AI(人工知能)やIoTをはじめとする先端テクノロジーの活用については、データのAIによる予測分析への利用やチャットボットの導入などの検討が、まだ実装には至っていないものの、進められている。IoTについては、前述のData61では様々な研究、例えば、100万個のセンサーをミツバチに装着して健康状態を分析する、といった独創的な研究が多数行われている。
6.いかに改革を進めるか
今回紹介した3州は、異なる背景、前提条件、アプローチでサービスの改革に取り組んでいるが、結果として、目指す方向性は一致している。すなわち、利用者の視点に立ち、データを駆使しつつ、デジタル化を徹底することによって、オープンで、シームレスで、アジャイルな“デジタルサービス”を実現しようとするものである。3州の間で方針をすり合わせたり、連邦政府からの指示があったりしたわけでもなく、同じ方向に向かっているということは、「3つのD」を通じたデジタルサービスが、現代の政府組織における普遍的課題であることの一つの表れであるといえよう。
もっとも、課題と目指すべき方向性が普遍的だからといって、改革が簡単に進むわけではもちろんなく、3州とも様々な障壁を乗り越えながら苦労して改革を進めている。その障壁とは、古い紙文化、新しいことへの抵抗、組織の縦割意識、古いレガシーシステム、硬直的な調達慣行などであり、我が国と共通点は多い。これらに対して、3州は次のようなアプローチで改革を推進している。
・ 組織文化を変えること。最大の障害は技術ではなく人間である。したがって改革の主眼はいかにそこで働く人々の意識を変えていくかにかかっている。このため、戦略等で明確なビジョンを掲げ、トップがメッセージとして伝えてゆく、縦割意識そのものを打破するような法律を定める(例:ヴィクトリア州のデータ共有化法)、といった工夫を行っている。
・ スモールスタートすること。人は理屈だけでは動かない。小さな成功の積み重ねこそが説得力をもたらしていく。これは職員が失敗を恐れず挑戦するよう促すためにも重要である。サービスデザイン思考を実践するために重要となるのはトライ&エラーによる継続的な学びと改善である。
・ オープンに進めること。これは住民のコミットメントを高めるだけでなく、行政側にあって改革を推進する立場にある人々をモチベートする上でも重要である。ヴィクトリア州では、個別プロジェクトの進捗状況の公開や、各段階での意見募集等の官民のコミュニケーションを一元的に行う「Engage Victoria」というウェブサイトを設け、まさに市民と協働する形で戦略を推進している(図3)。NSW州のdigital.NSWでも同様に、プロジェクトの進捗状況を様々な切り口で可視化する仕組みを作っている。
図3 Engage Victoriaの個別プロジェクトのウェブサイト
(出典)https://engage.vic.gov.au/seppwaters
改革において、それを方向付ける戦略や計画は重要だが、それ以上に重要なのはいかにそれを実践するかである。解決すべき課題と向かうべき方向性は、どの組織でも大きな違いはなく、やるべきことは分かっている。その当たり前のことをいかに粘り強く、知恵を凝らしながら実践していくか。3州の事例はその点において、これから同様の道を歩もうとしている我が国行政機関にとって豊富な示唆を与え得ると考える。
なお、3州とも、日本の取組みには高い関心を示しており、現地訪問の中で日本の取組みを紹介したところ、たいへん喜ばれた。当研究所としては、今後とも我が国の行政機関・自治体がどのように改革を実行したかに注目し、そこから得られた教訓や知識を海外政府にも発信していきたいと考えている。
狩野 英司(かのう えいじ) 大学卒業後、中央官庁、大手シンクタンク、大手メーカー勤務を経て現職。電子行政に関する調査研究、政府・自治体・企業等のシステム構築やBPR(業務改革)に、ユーザー/コンサルタントの両方の立場で携わる。現在の研究テーマは、データ、デジタル、デザインのいわゆる3つのDを通じた行政のイノベーション。一般社団法人 行政情報システム研究所 調査普及部長/主席研究員。 |