行政&情報システムOnline

無償

2024.09.02

2024年9月号 連載企画 北欧諸国のイノベーショントレンドno.13 北欧でイノベーションが創発し実装される仕組み スマートシティからメタバースシティへ

三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社
政策研究事業本部 産業創発部
主任研究員
中島 健祐

 前回まで「北欧の知恵を活用して社会実装に結びつける」という内容で執筆してきたが「北欧の知恵」における対象はデンマークであった。しかし、連載のテーマが北欧であり、ここ数年筆者が関わるプロジェクトはフィンランド、ノルウェー、スウェーデン、エストニアなど他の北欧諸国との連携が多い。北欧全体でみると社会システムの基本的な仕組みは似ているが、そこで起きているイノベーションプロジェクトは当然のことながら国の社会制度、文化的背景、各国のおかれた環境により異なってくる。従って本連載以降は、北欧全体に対象を広げ、日本の社会変革に役立つような取組み事例を紹介してみようと思う。

 

1.スマートシティの課題

 2019年以降、デジタル化の進展に伴いスマートシティが再び脚光を浴びて来ていた。特に2016年内閣府が発表したSociety5.0の流れと共に、都市レベルでデジタル化(DX)を推進する体系としても進展した。スマートシティからスーパーシティ構想に繋がり、スーパーシティ型国家戦略特区としてつくば市や大阪市などが選定されている。他にもトヨタ自動車が裾野市で展開している自動運転技術、サービスロボット、AIの実証を行うWoven City、東日本大震災の復興をきっかけに取組みが始まった会津若松スマートシティなどがある。一方、スマートシティの現状を俯瞰してみると必ずしも当初の計画通りに進んでいるようには見えない。海外は日本と比べると既にスマートソリューションの実証から実装段階に進んでいる都市もあるが、こちらも全て順調に開発が進んでいる都市ばかりではない。2020年にはカナダのトロント市で開発を試みていたアルファベット(グーグルの親会社)の子会社であるサイドウォーク・ラボも同市のスマートシティプロジェクトから撤退している。何故、スマートシティは想定したロードマップ通りに進展しないのか?筆者も北欧のノウハウを活かしたスマートシティ実装を日本で推進してきたが想像以上に障害が多いと感じていた。様々な理由があるが、やはりIoTやスマートエネルギーなどの特定ソリューションの開発とは異なり、都市となると規模が大きく利害関係者が多いこと、そのためスマートサービスの導入コストも高額となり時間もかかる。他にもAIなど新たな技術実装に伴う各種規制の問題、センサーで収集されるビッグデータと個人情報保護の関係、そして市民のウェルビーイングを担保しながら積極的な住民参加を促すアプローチが未成熟で、全体最適型のスマートシティ開発を成功に導くことが出来る方法論が確立されていないことがあるだろう。ソリューションを開発する参加企業にとっては収益に結びつくスマートシティのビジネスモデルそのものが確立されていないことも理由だ。こうした中、既存のスマートシティ開発で課題となっている諸問題を踏まえ、効率的に新しいデジタル都市を構築するアプローチとしてメタバースとスマートシティを融合した試みがフィンランドで進んでいる。

 

2.メタバースシティの可能性

 メタバースは一般的には仮想空間のことであり、ゲームの世界ではフォートナイトなどが有名だ。本年2月に米国で発売されたアップルのHMD(ヘッドマウントディスプレイ)Apple Vision ProによりVR(仮想現実)、MR(複合現実)の延長として、これからますます仮想空間を活用した空間コンピューティングが取り上げられると考えている。但し、厳密にはメタバースとはHMDの利用に関わらず展開される概念であり、未来の社会システム基盤ともなり得るものだ。たまたまメタバースに参加するツールとしてHMD(将来は進化したシステムとなりHMDが不要になると考えている)が定義されているに過ぎない。そもそも“メタバース”という言葉は、米国のSF作家であるニール・スティーヴンスンが「スノウ・クラッシュ」で作った言葉だ。メタバース世界観を理解する上でも、ご興味がある方は読まれることをお勧めする。シリコンバレーの大手企業CEOの社長室には、大抵この「スノウ・クラッシュ」が本棚にあると言われており、先端のIT企業幹部に影響を与えたという意味でも知っておきたいSF本だ。但し中身はグロテスクな場面も多いのでその点は気をつけて頂きたい。それでは、何故メタバースシティなのだろうか?ここではスマートシティの発展系としてメタバースシティの可能性について触れてみたい。メタバースは仮想の3DCG空間の中で、デジタル身体性(アバターを通じた視聴感覚+将来は触覚も)、リアルタイム性(他人との同期体験共有)、経済性(価値の交換を通じた事業創出)、無限の体験可能性(宇宙旅行も過去・未来旅行も可能)、デジタル資産の保存機能(デジタル化されたものは電源が確保されている限り永遠に保全)、新コミュニティ形成機能(二次元の画面では実現出来ない三次元関係性の構築)などが提供される。現在はまだ黎明期であるため、主なサービスはゲーム、イベント、観光、買い物、教育、コミュニティ作りに限定されている。そして、スマートシティとの関係では地方自治体の課題を効率的に解決する、或いは課題解決に導くサービスを提供出来る可能性がある。特に地方では人口減少(人口流出)と高齢化、それに伴う労働者不足(医療、介護、交通、インフラ維持、教育)、地域経済の衰退と雇用先の減少、デジタル化の遅れ(キャッシュレスやデジタルサービス導入の遅れ)、そして地域によってはオーバーツーリズム、災害対策などの面で、メタバースソリューションが貢献出来る対象として想定される。つまり、ここでのポイントはメタバースで開発されるサービスは、様々な制約がある現実空間において、メタバース技術によるリソースの再配分と最適化を通じて、地方都市の課題解決と持続的な発展に繋げることが出来る可能性があるということだ。

 

図1 メタバースの特徴と地方自治体の課題

(出典)著者作成

 

3.フィンランド・タンペレ市の取組み

 フィンランドは欧州でデジタル化先進国として知られている。2022年に行われたDESI(デジタル経済社会指標)でEU1位となっている。WIPO(世界知的所有権機関)によるグローバル・イノベーション・インデックスは2023年6位、世界で最も幸福な国としても知られている。(2024年国連の世界幸福度ランキング7年連続1位)すなわち、デジタル化がEUトップクラスで進展しており、イノベーション先進国であること、そして幸福度が高いという社会環境を活かし、新たなフィンランド共和国を形成する21世紀型の体系を構築しようとしている。中でもタンペレ市は人口約25万人、フィンランドで3番目の都市であるが、フィンランドで産業革命の発祥地であったこともあり、産業メタバースを発展させたメタバースによる都市形成を目指している。タンペレ市は、メタバースにより、縦割り行政の弊害を乗り越え、効率的なデジタル化により規模の経済を実現、予測的都市主義に取り組むとしている。そのために領域間の相互依存関係を可視化し、物理的・空間的世界との関係を透明化することで、幸福、平等、ガバナンス、持続可能性、そして幸福と健康へのシステム・アプローチを可能にする。エビデンス(EBPM)による政策立案と開発に参加するためのツールにより、視覚的な形で政策効果を提供することで人々とコミュニティに力を与えると定めている。これは前述のスマートシティの課題でもあり、まさしく我が国のSociety5.0で目指している世界観とほぼ同じだと言える。

 

4.タンペレ市によるメタバースビジョン2040

  タンペレ市はメタバースシティのコンセプトを実現するための戦略として、タンペレメタバースビジョン2040を昨年の6月に掲げている。
 タンペレメタバースビジョン2040:2040年以降、幸福、平等、ガバナンス、持続可能性、福祉・健康において、世界をリードするベンチマークを設定する都市となる。多様性を受け入れ、健康的なライフスタイルを実現し、エンパワーメントされた個人と平等主義的なグループで構成され、強い帰属意識を促進するコミュニティ。1
 北欧らしく全体概念を提示し、最初にウェルビーイングとして幸福を挙げている。次にメタバースを実装する上で重要となるガバナンス、そして都市を基盤で支えるエネルギーを含めた持続可能性による包括的な概念を提示している。これを実現する上で2040年の社会を未来洞察で認知都市(Cognitive City)として定義し描いている。認知都市とは、スマートシティを“認知”の観点から拡張させた概念である。スマートシティに仮想空間を組み込むことで、人々がコミュニティで意味ある形態で参集し、知識を共有しながら課題を解決し、持続的に価値を創出する環境を提供することである。このように地方自治体が主導して近未来の社会を描くアプローチは日本ではなかなか見られないものだ。この取組みを通じて、中長期かつ全体コンセプトを設定することにより、具体的なサービス体系やソリューションを構築する際でも方向性が振れず、全体最適に基づいた設計が出来るのだと思う。折角の機会なので、タンペレ市が定義する認知都市の概要を示してみると以下のような社会を想定している。

 

図2 タンペレ市が定義する認知都市2040

(出典)Tampere Metaverse Vison 2040 / Tampere Cognitive City 2040

 

図3 タンペレ市が定義する認知都市2040タンペレメタバース技術マップ

(出典)Tampere Metaverse Vison 2040 / Technology Map

 

<タンペレ市が定義する16年後の認知都市>2
 人々は物理的な世界とデジタル世界が融合する世界に生きている。人間はメタバースと現実世界を横断し、デジタルツインや拡張人間などの技術は知的にシームレスかつ完璧に相互作用している。HCI(ヒューマン・コンピュータ・インターラクション)やBCI(ブレイン・コンピュータ・インターフェース)などメタバース・インターフェースの新しいモデルが主流になりユーザーインターフェースは、より没入的で、双方向的、直感的なものになる。量子テクノロジーは重要な役割を果たし古典コンピュータと量子コンピュータの両方による攻撃に耐性を持つ新しい暗号アルゴリズムが開発されている。メタバースのガバナンスとコンプライアンスは自動化され、新しいメタバース法が制定されている。延命医療とヘルスケア技術は、予防医療、精密医療といったサービスによって大きなブレークスルーを達成する。テクノロジーと医療の進歩による寿命の延長は、経済的に余裕のある人々が享受できるようになる。一方これは、政策立案者が取り組むべき二層社会をもたらすことにもなる。世界中のより多くの政府が、男女平等と生活の質の向上を唱え、女性がより積極的に出産に取り組むようになり、人口減少と高齢化社会の問題解決に貢献する。クリーンエネルギー(水素発電や核融合の可能性を含む)は、世界のほとんどの地域で当たり前のものになる。AIとロボットの普及は、経済構造に大きな影響を与える。金融サービス、医療、法律、教育、監査・会計、さらにはソフトウェア開発など、現在のいくつかの産業は、もはや専門職として存在しない可能性があるほど深刻な破壊を受ける。AIは日々の仕事や生活において、人間の共同操縦者となることが増えていく。市民は持続可能な発展と地球の健康を達成するために、人間とロボットが互いに調和しながら生活し、働くことを学ぶ世界に生きることになる。ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)が導入され、チャンスとチャレンジの両方がもたらされる。人々は、現実世界とメタバースの両方で、高貴で楽しい追求を探求する時間を持てるようになる。しかし、全ての国で同じUBIレベルが導入されるわけではなく、世界的な不平等と移民の圧力に繋がる。財産やその他の金融資産を相続した人々は、より強化された環境で存在することが出来るようになり二層社会へと繋がる。
 如何だろうか?2040年というとまだ先のイメージかもしれないが実は16年後だ。読者の皆さんはタンペレ市が定義している認知都市は依然としてSF的と思うだろうか、或いはあり得る近未来の社会と思うだろうか?私たちは1990年代に、現在のSNSで繋がるネットワーク社会を完全にイメージすることが出来なかった。メタバース社会はAI、ロボットが統合され想像以上に早期に展開されることを考えると、タンペレ市の取組みと認知都市の定義は大変参考になる。そしてタンペレ市は認知都市を実現するためのメタバース戦略も策定している。こちらも簡単に紹介させて頂く。

<タンペレ市のメタバース戦略>3
 私たちは技術的、経済的、社会的、政治的、法的、環境的発展の軌跡に影響を与える可能性のあるコンバージェンス・テクノロジー(収斂技術)に注目すべきである。
1.視覚や聴覚に加え、嗅覚やその他の感覚を、従来の方法やBCIを通じて直接入力することによりますます双方向性(インタラクティブ)なものになる。
2.双方向性が高まると、個人スペースの概念、公共スペースで許容される行動、社会規範など、重要な文化的差異を構成するものを含め、社会規範の再考と再調整が必要になる。
3.ハラスメント、いじめ、窃盗、差別、侮辱、その他の反社会的行為の明確化、防止、告発に関する新たな政策と規範を策定する必要がある。
4.相互接続されたメタバースにおける政治運動、労働環境、公共空間、私的空間に関する政策も政治家、雇用者、労働者、国、企業、消費者、市民が一丸となってメタバース社会契約を定義する必要がある。
5.現実から完全に逃避し、デジタルツインを通じてのみ存在することを望む者も出てくるかもしれない。これは人間社会に重大な影響を与える可能性がある。
6.私たちは、「幸福」「平等」「ガバナンス」「持続可能性」「幸福度」「健康」という特定された優先事項ごとに、合理的で可能性の高いシナリオを1つ策定した。
 この通りタンペレ市は認知都市を具現化するためのメタバース戦略を策定し、加えて北欧らしく包括的なアプローチとして、幸福、平等、ガバナンス、持続可能性、幸福度、健康という6つのテーマを設定して具体性をもって取り組むことを目指している。

 

5.メタバースシティ実現の可能性と今後

 フィンランド・タンペレ市は、メタバースを単に近未来を創る先進技術として捉えるのではなく、ましてやメタバースで地域を活性化させるという短期的な取組みに留まらないしっかりとした未来ビジョンに基づく戦略を策定している。本年6月にはタンペレ市で世界初の自治体メタバース国際展示会も開催している。筆者も同市メタバースプロジェクトを推進している責任者と何度か協議したが、彼らが特に強調していたことがある。それは過去の反省も踏まえると、スマートシティには技術が必要であったが、メタバースシティでは市民の便益に繋がる技術でなければならない。現在は現実空間、仮想空間をAIが統合していく段階でありメタバースシティを構築する環境が整いつつある。デジタル化が進展し、幸福度が高いフィンランドが新しいメタバースシティ体系に取り組み、それを世界と共有していくことが出来ると考えている。その際、タンペレ市にとり適切な取組みを行うために、市民そして利害関係者間で培われる“信頼”の醸成がとても大切になる。信頼は壊れやすく、一度傷ついた信頼を回復することは大変な労力を必要とする。従ってメタバースシティのプロセスでは倫理的な運営を通じた価値創造プロセスこそが重要になるということであった。ここでもメタバースやAIなどの新興技術に対しても北欧的な概念形成がしっかりと考察された上で行われていることが特徴的だ。とは言え北欧での体系や進め方が全て正しくまた成功するわけではない。特に今後アジア圏の影響力が増すことを考えると、欧米とは異なるアプローチを組み込まない限り真にユニバーサルな社会基盤は構築できないであろう。その意味でタンペレ市×日本の自治体という連携モデルが有用であると考え、昨年から国内でもメタバースプロジェクトを進めている自治体との連携可能性を探っている。タンペレ市では対応出来ない領域や、国内自治体が先行している分野の経験や知見を共有することで、迅速に最適なメタバースシティ構築に近づくのではないかと考えている。

 

1 Tampere Metaverse Vison 2040より筆者が翻訳 https://www.tampere.fi/sites/default/files/2023-08/tampere_metaverse_vision_2040_web.pdf
2 Tampere Cognitive City 2040を基に筆者が再整理し編集
3 Tampere Metaverse Strategy (TMS) より筆者が翻訳

 

中島 健祐(なかじま けんすけ)
三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 政策研究事業本部 産業創発部 主任研究員
デンマーク外務省投資局を経て当社に参画。ビッグデータ、IoT、人工知能、ロボットといった先端技術を利用したスマートシティやデジタルガバメントなど社会システム全般に関するコンサルティングと企業向け成長戦略策定支援が専門。また通常のコンサルティングに社会デザイン、デジタルデザイン、人間中心デザインの要素を統合した新規事業開発を推進するなど幅広いテーマに従事。

1/1ページ